10.8.10

09/08/10 首

月曜日。

最近首が痛い。なんでだろう。寝違えたかとも思ったが、土曜日の昼から徐々に痛み出した。動かなくなってきた。

その前に同僚の一人が同じような症状で学校を二日休んでいた。何やってんだと思っていたが、自分も同じようになってみると非常につらい。寝返りを打つのも痛い。・・それでも自分は休みませんがね。今日も7つのコマをがっつりこなしてヘトヘトだ。一か月ほど病気で休んでいた生徒が戻ってきていたので嬉しかった。

 

土曜日に理学療法士であるオランダ人ボランティアJ。彼とマヌスの日本人ボランティア4人の5人でTwo Islandというリゾートになろうとしている島に泳ぎに行ってきた。Jがアレンジしてくれたのだが、いざ当日の正午、集まってみると、カヌーで行く計画だったらしいが、そのカヌーが準備されていない。電話で確認を取るJ。その傍ら外国人の集まりに「俺がボート出してやるよ!」という人が現れて、結局ボートで行くことに。燃料が2ガロンで合計50キナ。そんなに使っていないといJは怪しんでいたが、一人10キナ、350円でボート一日乗れたらいいと思う。

ボートで海に出ると結構波が高かった。カヌーは無理だったのでは・・。準備されてなくてよかったのかもしれない。ロレンガウからもう目と鼻の先のその島にはすぐに付いた。その時から首に違和感が。ボートか?それともその日の朝にやったバスケが原因か・・・。その時はあまり気にせずに、青い海、白い砂浜、南の島を満喫した。とにかく晴れてよかった。サンゴの中を泳ぐが、結局途中で足がつる。バスケやり、泳ぎまくって・・当然の結果だ。戦時中の船の残骸、1945年のコカコーラの空瓶が見つかる。楽しかったがヘトヘト。それが土曜日だったのでよかった。夜はほとんど首が動かず、お茶を注ぐのも大変なほどになった。

日曜日はリラックス。朝はやはりバスケ。首が全然動かずに、朝起きるのもつらかったが、Jから一日経ったら動かしたほうがいいといわれバスケをすることに。すると、体があったまるにつれて動くようになった。これはいいリハビリだ。学校も休むより、働くくらいがちょうどいい。

夜は人生ではじめて、肉じゃがのようなものを作った。基本的に家にあるレシピ通りにつくった。マヌス州唯一のスーパーにある醤油。お肉は鶏肉。ニューギニア島から市場に来るジャガイモと人参は手に入った。そして、調理酒、みりんはココポという任地から買ってきてもらって、前回上京時に手に入れたもの。とってもおいしくて、びっくりした。ちなみに先週は小豆をゆでてあんこを作った。

カレー生活も悪くはないのだが、せっかくあるから色々やって見ようと思う。日本に居る時よりも料理を楽しんでいる自分がいる。

2.8.10

31/07/10 適応

土曜日。

最近、日々が楽しく過ぎていく。

学校の3学期がはじまって2週間が過ぎた。全く問題ないわけではないが、最初に感じていたような苦しさを感じることなく、心に少しゆとりを持てている。授業の度に震えて緊張して、頭が真っ白になることも最近は無い。長期的な予定に乗っかって物事を進める余裕がでてきた。

週末はもうヘトヘトで、遊びに行ったり、約束を作る元気がなかったが、今は少しずつ変わってきた。まだ日曜日(仕事の前日)に忙しくする気にはなれないが、それでも金、土曜日は外出する楽しさを味わっている。さらばひきこもり時代!である。

金曜日、昨日はマヌスで3回目のクラブ(音楽が流れてて飲んだり、踊ったりするところ)に行ってきた。去年行ったSports club(別称Animal Zoo)は喧嘩騒ぎの印象と乗り切れなかった自分の気持ちのせいであまりいい思い出がなかった同居人のNさんは、活動でも生活でもなかなか満足できないらしく、憂さ晴らしをしたかったらしくなんとしてもクラブに行きたくて仕方なさそうだった。彼は同僚に迎えに来てもらうように頼んでいたが、きっと来ないと踏み、また実際来ずに、Arさんに急きょお願いした。同居組の日本人ボランティア3人と演歌だいすきのMr.Manusでクラブに繰り出した。しかし、それぞれの目的はバラバラだった。かつてクラブでDJをやっていたというAさんは音楽を楽しみたいということだった。私は・・出会い探し。首都でのことをきっかけに、積極的になっていく自分が分かる。可愛い子いないかな~なんて出発前に言っている自分にびっくりした。

今回行ったのはポントゥンと呼ばれている、白人が運営してるクラブ。マヌスには二つしかクラブがない。しかし、クラブのない場所もあるらしい。きっとマヌスの人は音楽と踊りが好きだから・・と勝手に思っている。夜11時、いつもなら就寝する時間に入った。入場料10キナ(350円)。入ってすぐは、クラブというものにそもそもなじめてない自分はずっと周りを眺めていた。踊る人、しゃべる人。・・おっ、きれいな若い女性がいる!と思ったら男性に熱烈に接近されていた。一人の男がそこから去ったと思ったら、すぐに次の男が。その程度というものがすさまじく、その女性は私が見てる間、一度も一人になることがなかった。他の日本人二人からみても。可愛かったというその子は、私も興味をもったがそこでそこに割って入るほどの度胸は無かった。そしてそうやって群がる男たちと同じなんだと思うと、自分が少し醜く見えた。ときどき、自分も踊ってみたりすると、案外楽しい。Aさんは、本当のクラブってのはこんなものじゃないと、厳しい採点もしたが皆楽しんだ。私は、何かしたわけではないが面白い実態がみられて楽しかった。日本に居た時から、今一歩、奥手だった自分に自信をくれた首都のことを思い出す。「よし、今度こそは」っと、一人で反省していた。

最近の悩みは、食材が市場に少ないことだ。キャベツ、玉ねぎ、人参、なすをずっと待っている。しかし、サッカー仲間だった(ずっとサッカーはご無沙汰)Wの奥さんが売っていた、ウミガメの革や貝殻で作ったアクセサリーに見とれて買ってしまったり、出会う人たちを眺めたり、おしゃべりしたりすることが楽しかった。一昔前は一秒でも早く市場から出ようとしていた私が、今の生活を、当たり前として、楽しめている。散歩したり、バスケしたり、可愛い女の子みつけてあれこれ考えたり、買い物したり、映画みたり、本読んだり、おしゃべりしたり。それは特別なことではないけれど、日本という育った場所と全く違う環境でそれを行うには苦労が要ったり、全く喜びの無いものになったりもする。できないことだってある。実際に長い間そうだったのだ。それが今、マヌスに来て一年経とうという頃に「適応」した感覚を味わえていることはとても幸せだ。この感覚を持たずに2年間過ごす人もいるだろうし、赴任した日から適応する人もいるだろうと思う。自分にはきっかけがあった。それにしても、23歳の男が持つ、異性を求める意識の強さに驚いているこの頃である。

25/07/10 三連休

日曜日。

金曜日が祝日だったので。三連休だった。学校は第三学期が無事に動き出した。隣のパピタライ高校、Yさんの活動している学校から教師が加わった。パピタライは現在暴力事件やらで大変・・ということで教師が一部辞めて他の学校に移るという事態が起こっている。

その点、マヌス高校はまだ平和だ。初日こそ生徒の集まりは三分の一程度であったが、もういつも通りであった。

さて、金曜日は久しぶりに運動した。学校のバスケットボールコートでバスケをした。すぐ息が切れる。強い日差し。もっと体力をつけないと。運動するとすぐ頭が痛くなるのはとても悲しかった。そもそも三連休でもないと、運動しようという気が起こらない。

土曜日は同居のAさんの誕生日。ということで、午後はマヌス島で日本語をしゃべれるPNGの方、aさんがパーティーを企画してくださった。彼、その奥さんがお酒やら料理やら・・・なんと大きなバースデイケーキまで準備してくださっていた。

日曜日、オランダ人のボランティアJさんが、滝に泳ぎに行こうと誘ってくれた。日本人ボランティア三人とJさんはとても仲良くしている。一つの機縁は、私の病気だった。私が入院してたとき、彼はその病院で活動しており、私への処置に非常に関心を寄せて、事務所に検査結果を伝えてくれたり、入院部屋を個室にしたほうがよいと勧めてくれたり・・・彼にとっても先進国育ちの価値観が共有できる仲間であり、懇意にしてくれている。入院時に「プライバシー」という言葉をPNGで聞いたときは感動したものだ。大事な仲間だ。ときどきご飯を一緒に食べたりしている。

しかし、今日は私は自宅に残ってゆっくりすることにした。ほかの同居人二人は一緒に遊んできたが。自分は午後ずっと昼寝をしていた。目を覚ましたら夕方だった。きっと必要な休息だったんだ。と解釈し、一人でカレーを作って食べた。どうも日曜日は予定を入れるのが億劫だ。なにもPNGに来たからという訳ではないが・・・。急に身動きのできない性格だから仕方がない、情けない気もするが、仕方ない、といつも思う。

Jさんは私のことを気にかけてくれる。今日のことにしても、今度、土曜日だったら一緒に遊べるかな、と話していたとのことだった。そういう人がいて本当にありがたい。Jさんはそういう私を理解してくれている。貴重な友人を持ったと思う。