10.1.11

25/08/10 ライフライン

水曜日。

先週木曜日から計画的に停電が行われた。

木曜日はそうとも知らず、電気料金を事務所に払いに行った。電気料金の請求書が支払期限の前日にくるというあり得ない事態だったからだ。学校で働いているうちは電気を使わないので、停電していることに気づかなかった。そして。昼休みに慌てて事務所に行くと、停電のため受け付けられないという。また来てね!なんて言われて少し腹が立った。こっちは忙しいのだ。事務所を立ち去った後、その停電は計画的に行われていることを知った。

理由は・・なんと燃料切れ。火力発電所の燃料が切れそう・・という理由での計画停電。夜7時ごろに電気が戻り、12時には消えた。

金曜日。この日は放課後に小学校に行って講習会を行う予定だった。前の学期から何度も計画を立て、交渉し、そして流された講習会。この日はついに無事に執り行うことことができた。一週間前にあげた、レジュメはコピーされていなかったが。とにかく小学校の教員20人程度を対象にした、理科の知識向上のための勉強会を1時間行った。単元はエネルギー、仕事、力。教育の技術には自信はない自分だが、理科の内容の理解には自信がある。重力とは?重力エネルギーとは?仕事とは?苦手と予想される、電気の単元にも少し触れた。内容は、小学校のシラバスを参考にした。学校制度が変わって、プライマリースクールは中学2年までの子どもを指導することになった。しかし、教師の能力がそれに追いついていないという話を聞いていた。慣性とは?重力加速度とは?重いものと軽いもの、どっちが先に落ちる?こういう質問に感覚的に答えてしまう。一時間はあっという間に過ぎた。また来てくれと言ってくれた。こんどはきちんと、自分の仕事が評価できるような準備をしていきたい。

停電のほうは相変わらず。同じように夜7時に回復し、夜10時に消えた。ポントゥン、クラブに行く計画は停電とは別の理由で流れた。先週はオーナーが釣りに行ったから、今週はマヌスからビールが消えたから。現在マヌスは品不足に陥っている。燃料、ビールがない。

土曜日。朝はバスケット。子どもらにシュートの打ち方を教えた。前はふざける生徒が多かったので、試合前に、少し厳しめにルールについて簡単にふれた。基本的には、身体接触は許されていないということを叩き込んだ。すると、前よりもゲームらしくなった。いい兆しだ。

電気はやってこなかった。暑い中扇風機なし。

日曜日。ひたすらコトーのために家の出入口をふさいだ。彼は小さいがゆえに、人間が通れない小さな隙間から家の外に出てしまう。しかし、問題は家の下にやってくる犬である。猫と犬が極力出会わずに済むように、勝手に外に出ないように、家の小さな隙間をふさいだ。この日も電気は来なかった。

月曜日。朝起きるとやはり電気も水も出ない。お隣が分けてくれた水でトイレを済ました。仕事は通常通り。でも電気がないからテストなどは印刷できない。学校の同僚に話を聞くと、どうも燃料を積んだタンカーはマヌスに来ているらしい。しかし、なぜかそれが発電所に運ばれていないらしい、船長がこの日飛行機でやってくるらしい。実際その夜10時に電気は回復した。長い戦いが終わった・・ようだった。しかし水は戻らなかった。

火曜日、朝6時に起きる。水は出なかった。しかし、朝食を食べているとトイレに水がたまる音が聞こえた。水が帰ってきた!

停電と断水のダブルアタックは結構しんどかった。でも、生活は楽しい。コトーが来てから、自分の中で心のゆとりを感じられるようになった。生きることに必死、働くことに必死な自分とより生きやすい・・昔はそんな余裕をむしろ忌み嫌っていたのだが。贅沢は敵だったのに。人は変わるものだな。

24/08/10 終戦記念日とコトー

火曜日。停電が明け、水道も動き出した日。

もうかなり前に感じられるが8月15日のことを書く。この日は日本では、第二次世界大戦の終戦記念日。パプアニューギニアもこの戦争を体験している。日本はとても強い関係を持っている。こっちの人はみんな知っている。

ずいぶん前にインターネットで調べたところ、マヌス島を主とするアドミラルティ諸島は、アメリカと日本の軍隊の戦場となった。3000人以上の日本の兵隊が上陸し、そのほとんどが、この地で亡くなったらしい。そのことため、マヌスには石碑が建てられている。一つは日本が建てたもの。もうひとつはアメリカが建てたもの。その二つはモモティ、街から40分程度車で行ったところにある空港の近くにある。

日本人ボランティア4人で訪れ、石碑をきれいに磨いた。そして黙祷した。この島に来た日本人はほとんどが兵隊さん、そしてわずかなボランティアや研究者。兵隊さんのことを思う・・彼らは自分と同じような若さだったのではないかと思う。それは覚悟に覚悟を重ねたに違いない。私のように帰国後のことを心配するような余裕はなかっただろう。

そのあとは、モモティの素晴らしく美しい海で泳いだ。サンゴは生き、熱帯魚は人に怯えることない。海は・・水色。硫酸銅水溶液のような色(残念な響きですが、とてもきれい)もあれば、澄んだ色もある。ニモのお父さんのようなのも居た。

帰りに、Yさんの本拠地パピタライに寄って彼をおろした。そして、彼のすぐ近くに住む校長に子猫をもらえるか相談した。ずっと飼えたらいいのにと思っていた、以前の同居人Sさんの猫がパピタライで亡くなって以来、考えていた。現在の同居人と相談して、飼うことに決めた。生後2カ月の小さい猫。親は死んでしまったらしい。パピタライで飼われている猫は、犬によく攻撃される。Yさんがかわいがっている猫も殺された。その子どもである。

子猫、白と黒のまだら。シロでもなくクロでもない。名前は・・・と移動中に話していた。「オスだから男、オトコ・・コトーってのは?」というシンプルな案が出た。そうだな~マヌスは孤島だし、なんか呼びやすいし、いい名前だと思い決まった。コトーが住人としてうちに来た。

27/09/10 September

月曜日。今月ほとんどこの日記を書かなかった。気がつけば月末。書きたいことはいっぱいあった。ありすぎて、日々があっという間に過ぎてしまった。

9月の上旬、第三学期の後半で次の学期にある全国統一試験に向けて学校はピリピリしていた。といっても日本に比べたらぬるいものであるが・・。それでも、生徒の中には放課後教室に残って勉強する者がぽつぽつ居るようになった。そんな生徒に向けて課外授業がおこなわれることになったが、教師が来ないことが多いと、問題になった。自分は時間があるときは、放課後教室を回って、理数科目で問題がある生徒に個別に援助している。そんななか、教室を覗いてみると、生徒が集まって、教師が来ない状況に立ち会ってしまった。いたたまれずに、準備なしではあるが、生徒の多くがつまづいていた問題の解説などをした。来ている生徒はとても真剣。いつも教えているGr.9に比べたら集中う度合いが違う。こちらも燃えてくる。とてもやりがいのある仕事だとおもった。

夕方の帰り道、家の近くから聞き覚えのあるガラムッド(伝統的な打楽器)のリズムが聞こえた。それは、かつて国の教育省のお偉いさんが来たときに生徒が踊っていたもの。マヌスには各地に様々なガラムッドのリズムがある。生徒が踊っていると思い込んで、そちらに行ってみるとそこには生徒は居なかったが、もっと小さいこども、生徒ぐらいのこども、おじさん、おばさんが見覚えのあるシンシンを練習していた。見学させてもらったが、その踊りの世話人のWさんの勧めもあって、その日から一緒に練習することになった。その人々はバルアン島というロウ島の近くの島のシンシンを練習して、9月半ばにあるSHOW MANUS、というマヌスのお祭りで披露するらしかった。本番まで1週間、一緒に練習して、少しでも習得できたら生徒と今度踊れるかな~なんて思っていた。

1週間やってみると結構やれるものだった。お祭りも一緒に出ることになった。このチームは20人程度。Lorengau Mixという、少しかっこいい名前だった。バルアン出身の人が多いが、全員ではない。祭りには各地からシンシンを踊りに人々がやってくるが、各村々に暮さず街に出てきてしまった人たちは、シンシンを踊るチームがない。そんな人々が集まって作ったチームだから、Lorengau Mixということになったらしい。あまりモノの集まり。自分にとっても一番ふさわしい場所だ。バルアンのリズムはマヌスの中でも速く激しいと言われていて、私はかっこいいなと思っていた。日に日に上達していくのが楽しかった。録画して夜も師匠のステップを研究。衣装作りも仲間に手伝ってもらいながら楽しくやれた。

祭りの当日は、とても大勢が集まっていた。ただし、学校のある平日で自分はあまり見に行くことができなかった。幸運にも自分の踊る番は放課後の時間帯だった。もしも学校と重なったら学校を優先することは告げておいたが、本当に幸運だった。何せ直前までプログラムを誰も知らないという、イタイ状況だったからである。この祭りにはまたお偉いさんが来賓として参加していた。彼らを中心に祭りが動いているように見えた。ステージは来賓に面しながら、その後ろ側に一般の観客がいる。そしてステージの人々は皆、観客にではなく、来賓に向かって演技をする。観客は皆、後ろ姿を眺めるだけという状況。

Lorengau Mixは5日の祭りの中で合計4回踊った。総合、子供の部など審査もされたが、その結果を誰も知らない・・。ただ、私が踊ったときは観客の騒ぎ方が尋常ではなかった。外国人がシンシンを踊ることは、普通ではない。注目されまくった。司会者は私のことばかり、述べまくった。街を歩けば、バルアンマンギー(バルアンの男)と声をかけられまくり、握手されるようになった。ただ、チームのみんなはとても喜んでくれた、私も踊りの楽しさを共有できてとても幸せだった。日本で「踊る」という行動はとても特殊で、自分には向いてないとばかりに思っていたが、気が付けば、心から踊りというものを楽しめるようになっていた。

日本に帰ったら何か踊ってみようかな。

10.8.10

09/08/10 首

月曜日。

最近首が痛い。なんでだろう。寝違えたかとも思ったが、土曜日の昼から徐々に痛み出した。動かなくなってきた。

その前に同僚の一人が同じような症状で学校を二日休んでいた。何やってんだと思っていたが、自分も同じようになってみると非常につらい。寝返りを打つのも痛い。・・それでも自分は休みませんがね。今日も7つのコマをがっつりこなしてヘトヘトだ。一か月ほど病気で休んでいた生徒が戻ってきていたので嬉しかった。

 

土曜日に理学療法士であるオランダ人ボランティアJ。彼とマヌスの日本人ボランティア4人の5人でTwo Islandというリゾートになろうとしている島に泳ぎに行ってきた。Jがアレンジしてくれたのだが、いざ当日の正午、集まってみると、カヌーで行く計画だったらしいが、そのカヌーが準備されていない。電話で確認を取るJ。その傍ら外国人の集まりに「俺がボート出してやるよ!」という人が現れて、結局ボートで行くことに。燃料が2ガロンで合計50キナ。そんなに使っていないといJは怪しんでいたが、一人10キナ、350円でボート一日乗れたらいいと思う。

ボートで海に出ると結構波が高かった。カヌーは無理だったのでは・・。準備されてなくてよかったのかもしれない。ロレンガウからもう目と鼻の先のその島にはすぐに付いた。その時から首に違和感が。ボートか?それともその日の朝にやったバスケが原因か・・・。その時はあまり気にせずに、青い海、白い砂浜、南の島を満喫した。とにかく晴れてよかった。サンゴの中を泳ぐが、結局途中で足がつる。バスケやり、泳ぎまくって・・当然の結果だ。戦時中の船の残骸、1945年のコカコーラの空瓶が見つかる。楽しかったがヘトヘト。それが土曜日だったのでよかった。夜はほとんど首が動かず、お茶を注ぐのも大変なほどになった。

日曜日はリラックス。朝はやはりバスケ。首が全然動かずに、朝起きるのもつらかったが、Jから一日経ったら動かしたほうがいいといわれバスケをすることに。すると、体があったまるにつれて動くようになった。これはいいリハビリだ。学校も休むより、働くくらいがちょうどいい。

夜は人生ではじめて、肉じゃがのようなものを作った。基本的に家にあるレシピ通りにつくった。マヌス州唯一のスーパーにある醤油。お肉は鶏肉。ニューギニア島から市場に来るジャガイモと人参は手に入った。そして、調理酒、みりんはココポという任地から買ってきてもらって、前回上京時に手に入れたもの。とってもおいしくて、びっくりした。ちなみに先週は小豆をゆでてあんこを作った。

カレー生活も悪くはないのだが、せっかくあるから色々やって見ようと思う。日本に居る時よりも料理を楽しんでいる自分がいる。

2.8.10

31/07/10 適応

土曜日。

最近、日々が楽しく過ぎていく。

学校の3学期がはじまって2週間が過ぎた。全く問題ないわけではないが、最初に感じていたような苦しさを感じることなく、心に少しゆとりを持てている。授業の度に震えて緊張して、頭が真っ白になることも最近は無い。長期的な予定に乗っかって物事を進める余裕がでてきた。

週末はもうヘトヘトで、遊びに行ったり、約束を作る元気がなかったが、今は少しずつ変わってきた。まだ日曜日(仕事の前日)に忙しくする気にはなれないが、それでも金、土曜日は外出する楽しさを味わっている。さらばひきこもり時代!である。

金曜日、昨日はマヌスで3回目のクラブ(音楽が流れてて飲んだり、踊ったりするところ)に行ってきた。去年行ったSports club(別称Animal Zoo)は喧嘩騒ぎの印象と乗り切れなかった自分の気持ちのせいであまりいい思い出がなかった同居人のNさんは、活動でも生活でもなかなか満足できないらしく、憂さ晴らしをしたかったらしくなんとしてもクラブに行きたくて仕方なさそうだった。彼は同僚に迎えに来てもらうように頼んでいたが、きっと来ないと踏み、また実際来ずに、Arさんに急きょお願いした。同居組の日本人ボランティア3人と演歌だいすきのMr.Manusでクラブに繰り出した。しかし、それぞれの目的はバラバラだった。かつてクラブでDJをやっていたというAさんは音楽を楽しみたいということだった。私は・・出会い探し。首都でのことをきっかけに、積極的になっていく自分が分かる。可愛い子いないかな~なんて出発前に言っている自分にびっくりした。

今回行ったのはポントゥンと呼ばれている、白人が運営してるクラブ。マヌスには二つしかクラブがない。しかし、クラブのない場所もあるらしい。きっとマヌスの人は音楽と踊りが好きだから・・と勝手に思っている。夜11時、いつもなら就寝する時間に入った。入場料10キナ(350円)。入ってすぐは、クラブというものにそもそもなじめてない自分はずっと周りを眺めていた。踊る人、しゃべる人。・・おっ、きれいな若い女性がいる!と思ったら男性に熱烈に接近されていた。一人の男がそこから去ったと思ったら、すぐに次の男が。その程度というものがすさまじく、その女性は私が見てる間、一度も一人になることがなかった。他の日本人二人からみても。可愛かったというその子は、私も興味をもったがそこでそこに割って入るほどの度胸は無かった。そしてそうやって群がる男たちと同じなんだと思うと、自分が少し醜く見えた。ときどき、自分も踊ってみたりすると、案外楽しい。Aさんは、本当のクラブってのはこんなものじゃないと、厳しい採点もしたが皆楽しんだ。私は、何かしたわけではないが面白い実態がみられて楽しかった。日本に居た時から、今一歩、奥手だった自分に自信をくれた首都のことを思い出す。「よし、今度こそは」っと、一人で反省していた。

最近の悩みは、食材が市場に少ないことだ。キャベツ、玉ねぎ、人参、なすをずっと待っている。しかし、サッカー仲間だった(ずっとサッカーはご無沙汰)Wの奥さんが売っていた、ウミガメの革や貝殻で作ったアクセサリーに見とれて買ってしまったり、出会う人たちを眺めたり、おしゃべりしたりすることが楽しかった。一昔前は一秒でも早く市場から出ようとしていた私が、今の生活を、当たり前として、楽しめている。散歩したり、バスケしたり、可愛い女の子みつけてあれこれ考えたり、買い物したり、映画みたり、本読んだり、おしゃべりしたり。それは特別なことではないけれど、日本という育った場所と全く違う環境でそれを行うには苦労が要ったり、全く喜びの無いものになったりもする。できないことだってある。実際に長い間そうだったのだ。それが今、マヌスに来て一年経とうという頃に「適応」した感覚を味わえていることはとても幸せだ。この感覚を持たずに2年間過ごす人もいるだろうし、赴任した日から適応する人もいるだろうと思う。自分にはきっかけがあった。それにしても、23歳の男が持つ、異性を求める意識の強さに驚いているこの頃である。

25/07/10 三連休

日曜日。

金曜日が祝日だったので。三連休だった。学校は第三学期が無事に動き出した。隣のパピタライ高校、Yさんの活動している学校から教師が加わった。パピタライは現在暴力事件やらで大変・・ということで教師が一部辞めて他の学校に移るという事態が起こっている。

その点、マヌス高校はまだ平和だ。初日こそ生徒の集まりは三分の一程度であったが、もういつも通りであった。

さて、金曜日は久しぶりに運動した。学校のバスケットボールコートでバスケをした。すぐ息が切れる。強い日差し。もっと体力をつけないと。運動するとすぐ頭が痛くなるのはとても悲しかった。そもそも三連休でもないと、運動しようという気が起こらない。

土曜日は同居のAさんの誕生日。ということで、午後はマヌス島で日本語をしゃべれるPNGの方、aさんがパーティーを企画してくださった。彼、その奥さんがお酒やら料理やら・・・なんと大きなバースデイケーキまで準備してくださっていた。

日曜日、オランダ人のボランティアJさんが、滝に泳ぎに行こうと誘ってくれた。日本人ボランティア三人とJさんはとても仲良くしている。一つの機縁は、私の病気だった。私が入院してたとき、彼はその病院で活動しており、私への処置に非常に関心を寄せて、事務所に検査結果を伝えてくれたり、入院部屋を個室にしたほうがよいと勧めてくれたり・・・彼にとっても先進国育ちの価値観が共有できる仲間であり、懇意にしてくれている。入院時に「プライバシー」という言葉をPNGで聞いたときは感動したものだ。大事な仲間だ。ときどきご飯を一緒に食べたりしている。

しかし、今日は私は自宅に残ってゆっくりすることにした。ほかの同居人二人は一緒に遊んできたが。自分は午後ずっと昼寝をしていた。目を覚ましたら夕方だった。きっと必要な休息だったんだ。と解釈し、一人でカレーを作って食べた。どうも日曜日は予定を入れるのが億劫だ。なにもPNGに来たからという訳ではないが・・・。急に身動きのできない性格だから仕方がない、情けない気もするが、仕方ない、といつも思う。

Jさんは私のことを気にかけてくれる。今日のことにしても、今度、土曜日だったら一緒に遊べるかな、と話していたとのことだった。そういう人がいて本当にありがたい。Jさんはそういう私を理解してくれている。貴重な友人を持ったと思う。

27.7.10

17/07/10 首都で

土曜日。

昨日マヌスに帰ってきた。首都に行くのが嫌で嫌で仕方が無かったが、行ってみると案外楽しいものだった。

 

PNGの理数科教師ボランティアみんなで、勉強会を行った。内容は、参加型問題解決の手法である。状況を分析し、問題を発見し、それを論理で並べて、可能な範囲での解決策を導くものである。現在、教師経験もなく、配属先の抱える問題解決に貢献できないでいる自分が歯がゆいと思っているボランティアが多いのである。そのために丸三日間を使って行った。

大事なことがいくつか分かった。我々ボランティアでさえ、3日の参加型ワークショップはかなりしんどいものであった。これは、学校、教師その現地の方々に問題解決に対して大きな動機づけがないと難しいということが明らかになった。気軽には使えないものではある。しかし、それでも、本当に困っている人には効果が上がることが期待できる。そして、本当に困っている学校というのはマヌスにも、他の州のボランティアが配属されている学校にもある。

まだ、言葉、文化の壁、ワークショップの運営というそもそもの難しさから、ボランティアが一人でこの手法を用いて任地の問題に取り組むのは難しいと思う。任地で、マヌスでこれに取り組みたい、そしてその取り組みを全員で共有したいと思う。そのために以前に流れた分科会をもう一度企画してみたい、そういう思いを理数科教師ボランティアで確認した。再確認はなんと勉強会最終日の打ち上げであった。

勉強会終了後、翌日速やかに任地に帰るのが筋である。しかし、マヌスには週四便しか飛行機がない都合で、一日首都に居た。いつも通っている中華料理屋がある。病気で上京したときから一人で通い詰めたお店で、店員さんからもなじみの客になってしまった。そこで働く店員さん、PNGの女性に勇気を出して声をかけた。前から気にかかっていたが全く勇気が出ずにいたのだが、外国人だからって遠慮していたら何も始まらないと思い、夕食に誘うことにした。やましい気持ちは無いし、いつも応対してくれて、いいひとだと思うから。彼女は喜んでくれた。予定があったようだが、快諾してくれた。タクシーで迎えに行った。その中華料理屋の前には数人店員さんが仕事を終えてたむろっていた。彼らも自分にいい印象を持ってくれているらしく、笑顔で送り出してくれた。私が首都を去ることを惜しんでくれた。二人でレストランに行った。お互いのことを全く知らないにもかかわらず、何か近いものを感じた。話は決して表面的でなかった。自分を偽ることなく、飾ることなく。やはり若いもの同士(彼女は19歳)だが、誠実にふるまえたと思う。好意は伝わってきたし、伝わったと思う。しかし過度な期待は持たせてはいけないと、自分の将来のこともしっかり話した。文化や価値観はやはり違うから・・しっかり説明しなければいけないと思った。いい友達でいようと。ここから何か発展するか、しないか、よくわからない。実際、彼女は美しいと思う。また会う約束をした。半年後に。

ただそういう気持ちを国を超えて持てるということがはっきり自覚できたことが嬉しかった。

夜9時には彼女を下宿に送った。自分もドミに帰った。ドミの門限は10時。この事実を知るボランティアたちからは散々に冷やかされた。でも、何もやましくないし、様々な欲求をぐっとこらえて誠実に振る舞えたと思う。。夜にクラブに行って、遊ぶのよりはるかに健全だと思う。逆にPNGでは出会いは無いという人たちよりは、きちんとこの国と本気で向き合っていると思う。

現在はマヌスにいる。ここでは電話回線も切れて、ネットは絶望的・・・だったが、首都で新兵器を買った。携帯電話会社の無線モデムである。携帯電話用の電波でインターネットが楽しめるというものである。またどんどん更新できれば、と願うがこれもいつだめになるやらと、どこかで思っていなければならない。