15.6.10

16/05/10 小さな世界

日曜日

土曜日。同居しているKさんに誘われ、Aさんも一緒に3人でホテルのレストランに昼食を食べに行った。そこでYさんにも会った。皆さん、毎週ホテルで食事をされているらしい。私は普段そこに行く習慣がなく、家で適当に済ませてしまう。引きこもり体質なのかもしれない。レストランで、ホーランド(?)から今年新しく来たという若いボランティアにあった。現在家が無く、ホテル住まいのようだ。一人でさみしかろ・・。電話番号を聞いたので、今度我が家に招いてあげようと思う。外国人同士、ボランティア同士、何か通じることもあるだろう。

昼はYさんとグランドに行った。我が学校とYさんの学校の交流戦が行われた。Yさんの生徒を見る眼差しは、温かかった。自分はすぐ退屈になってしまった。バレーとサッカーをやっていた。これらのスポーツがうまい人はいいけど、出れるのは一握り。自分の教え子も沢山いた。ツルツルになったスパイクを持ってきている生徒が居た。「ただ持ってきただけ」と言う。観戦してるが、本当はプレイしたくて仕方ないんだ。こんなこと書いている自分も密かにスパイクとストッキングとすね当てをちゃっかり持ってきていた(笑)。でも生徒の試合だから、彼らに出て欲しかったから自粛した。家に帰ってバスケボールを学校に持って行った。幸運にも空気入れを持っている教員が居たので空気を入れてもらって、近くにいたそのツルツルのスパイクを持ってる子どもらと、バスケをした。彼らはルールを知らないので教えてあげた。シュートの打ち方、ドリブルの仕方。ドリブルは叩くんじゃなくて、押すんだよと。指と付け根でしっかり触るように。素足でアスファルトの上でやって、皮がむけていた。

 

日曜日。今日は高校時代の友人Hの結婚式が日本で行われた。おめでとう!

この日に電報が届くように、また別の友人Mにお願いしておいた。今まで結婚式というものに参加したことが無いので、いまいち想像しにくい。高校の同級生もきっと一部集まって祝ったのだろう。

その夜、代打を頼んだ友人に電話した。彼は私のメッセージをわざわざ伝えてくれたらしい。喜んでもらえたなら何よりだ。そして何もできない自分に代わって面倒を引き受けてくれたMに感謝した。結婚式に出席した後、夜に新幹線で彼の本拠地に帰るという切り替えの感じが日本を漂わせた。

結婚式があったその日、私は家の草刈りをして、ネットに接続を試み、しかしうまくいかず諦めた。Mr.Kが我が家に来た。彼は我が家に来て、なんと海外に職を探している。彼の職場にそうやってフィリピンから来た人がいるそうだ。募集しているウェブページを紹介してもらい、一緒に探して、応募した。現在その返信待ちなのだ。しかし、接続できなかった。

そんなときに日本から、電話がかかってきた。かつてマヌスのMr.Kの故郷で彼と一緒に働いていたボランティア、Fさんから突然の電話だった。初めてのことで驚いた。彼は6Wが亡くなったことを聞き、確認するために私に電話した。その場にMr.Kが居たのは奇跡だった。6Wを父親と呼ぶ、Fさんはきっと濃い人間関係をこの地で作ったのだろう。6WともMr.Kとも私もお世話になったし、これからもなるだろう。

いろんなところで世界は繋がっている。本当に世界って狭いと思った。

09/05/10 6W

日曜日。ブログを書くペースが落ちている。

先週の火曜日。カレーを振る舞った日。夕方に近所に住む小学生の女の子が我が家に来た。また理科の質問かな・・と思ったら、思いもよらないことを言われた。

「6が死んだ。」

6、6Wは、我が家によく遊びに来てたおじさんだった。マヌスに来た日本人ボランティアの世話をしてきたと豪語していた。実際私はお世話になった。彼は結構年を取っていた、おそらく60歳くらい。しかし肌はツヤがあって、そのブッシュナイフ(刃渡り50cm以上ある刀のようなナイフ)で我が家の草刈りをやってくれたときなどは、喧嘩したらこの人には勝てない、そう思ったほどたくましかった。

小学生、Sは当日、ハウスクライ(お通夜的なもの)が行われることを伝えに来てくれた。初めてのことで、少し不安だったが、彼のことを思い出すと行かずにはいられなかった。

お隣さん、Pおばさんに事情を話して、何を準備すればいいか聞いた。ここの文化では、そう言うときは食べ物を持っていくのだそうだ。現金ではなく。夜になり、お店もほとんどしまっている。しかし、外国人、バングラデシュの人が経営してる小さな商店は開いているということで、Pおばさん、その姉Mは一緒についてきてくれた。食パン20切れ入りを5袋、バター、砂糖1キロ、お茶を買って、そのまま向かった。マヌスは比較的安全と言っても、周りの人たちは夜に日本人が歩くことをとても心配する。女性2人は、ハウスクライの家まで連れていってくれた。

小さな家の中には15人くらいが、横たわった人間を囲んでいた。家の外にも人が居た。彼らは泣き叫んでいた。娘か、関係は不明だが、その横たわった身体にしがみついて、ずっと叫び続けた。式というより、ただ皆、集まり、囲み、泣く。自分はどうして良いか分からなかった。その身体はスラックを履き、白いシャツにネクタイをしめていた。首にはいつも付けてた黒い十字架のネックレスが。顔の鼻と口には包帯が巻いてあって、それが6Wなのか、良く分からなかった。6Wの脂ぎった感じの皮膚とはまるで別物で・・目もしわくちゃで、自分には信じられなかった。その十字架だけが、6Wの死を私に説得力を持たせていた。泣いていた娘が私のために場所を譲ってくれた。近くで見れば見るほど、彼が痩せこけたことが分かる。何か病気で亡くなったのだろう。蠅がたかりはじめていた。恐る恐る額に触れた。これが、本当にアイツなのか?触ったところで何も分からなかった。

周りの人々からはとても感謝された。来てくれてありがとうと。「残念です、彼はいつも十字架と一緒でした。だからきっと今もそうでしょう。彼をお願いします。」そう残して去った。帰り道も男の子が送ってくれた。話しを聞くと、2週間前から病気になったらしい。片腕、片足が動かなくなり、そのうち、話すこともできなくなったと。食事や水浴びも自分でできなかったらしい。言葉を失った彼はただ、微笑んでうなずくだけだったらしい。病院に行っても、何も分からなかったようだ。どのような病か特定されなかったらしい。

信仰の無い私にも、彼が神様にすがっていたのが分かった。何かあるとすぐに、神の名を出していた。他人のお金が無造作に机に置いてあったとき、彼は神の存在を自分に言い聞かせて、それをくすねることを拒んだ。これはある日本人ボランティアの家に彼が訪ねたときのことらしく、誇らしげににそれを話したのを思い出す。芝刈りも、神がこの日本人を助けなさいというからそうしたらしい。彼は今、どうしているだろうか。うちの猫と出会ったろうか。

私は泣きもせず、叫びもせず。ハウスクライにお邪魔した。6Wは翌日彼の村に運ばれて、葬式が行われたそうだ。そうしてこの週末にはその村では、6Wの娘の結婚式が盛大に行われることになっている。何か終わり、また始まる。