15.6.10

09/05/10 6W

日曜日。ブログを書くペースが落ちている。

先週の火曜日。カレーを振る舞った日。夕方に近所に住む小学生の女の子が我が家に来た。また理科の質問かな・・と思ったら、思いもよらないことを言われた。

「6が死んだ。」

6、6Wは、我が家によく遊びに来てたおじさんだった。マヌスに来た日本人ボランティアの世話をしてきたと豪語していた。実際私はお世話になった。彼は結構年を取っていた、おそらく60歳くらい。しかし肌はツヤがあって、そのブッシュナイフ(刃渡り50cm以上ある刀のようなナイフ)で我が家の草刈りをやってくれたときなどは、喧嘩したらこの人には勝てない、そう思ったほどたくましかった。

小学生、Sは当日、ハウスクライ(お通夜的なもの)が行われることを伝えに来てくれた。初めてのことで、少し不安だったが、彼のことを思い出すと行かずにはいられなかった。

お隣さん、Pおばさんに事情を話して、何を準備すればいいか聞いた。ここの文化では、そう言うときは食べ物を持っていくのだそうだ。現金ではなく。夜になり、お店もほとんどしまっている。しかし、外国人、バングラデシュの人が経営してる小さな商店は開いているということで、Pおばさん、その姉Mは一緒についてきてくれた。食パン20切れ入りを5袋、バター、砂糖1キロ、お茶を買って、そのまま向かった。マヌスは比較的安全と言っても、周りの人たちは夜に日本人が歩くことをとても心配する。女性2人は、ハウスクライの家まで連れていってくれた。

小さな家の中には15人くらいが、横たわった人間を囲んでいた。家の外にも人が居た。彼らは泣き叫んでいた。娘か、関係は不明だが、その横たわった身体にしがみついて、ずっと叫び続けた。式というより、ただ皆、集まり、囲み、泣く。自分はどうして良いか分からなかった。その身体はスラックを履き、白いシャツにネクタイをしめていた。首にはいつも付けてた黒い十字架のネックレスが。顔の鼻と口には包帯が巻いてあって、それが6Wなのか、良く分からなかった。6Wの脂ぎった感じの皮膚とはまるで別物で・・目もしわくちゃで、自分には信じられなかった。その十字架だけが、6Wの死を私に説得力を持たせていた。泣いていた娘が私のために場所を譲ってくれた。近くで見れば見るほど、彼が痩せこけたことが分かる。何か病気で亡くなったのだろう。蠅がたかりはじめていた。恐る恐る額に触れた。これが、本当にアイツなのか?触ったところで何も分からなかった。

周りの人々からはとても感謝された。来てくれてありがとうと。「残念です、彼はいつも十字架と一緒でした。だからきっと今もそうでしょう。彼をお願いします。」そう残して去った。帰り道も男の子が送ってくれた。話しを聞くと、2週間前から病気になったらしい。片腕、片足が動かなくなり、そのうち、話すこともできなくなったと。食事や水浴びも自分でできなかったらしい。言葉を失った彼はただ、微笑んでうなずくだけだったらしい。病院に行っても、何も分からなかったようだ。どのような病か特定されなかったらしい。

信仰の無い私にも、彼が神様にすがっていたのが分かった。何かあるとすぐに、神の名を出していた。他人のお金が無造作に机に置いてあったとき、彼は神の存在を自分に言い聞かせて、それをくすねることを拒んだ。これはある日本人ボランティアの家に彼が訪ねたときのことらしく、誇らしげににそれを話したのを思い出す。芝刈りも、神がこの日本人を助けなさいというからそうしたらしい。彼は今、どうしているだろうか。うちの猫と出会ったろうか。

私は泣きもせず、叫びもせず。ハウスクライにお邪魔した。6Wは翌日彼の村に運ばれて、葬式が行われたそうだ。そうしてこの週末にはその村では、6Wの娘の結婚式が盛大に行われることになっている。何か終わり、また始まる。

1 件のコメント:

  1. Hi!! How's it going?
    I'm deeply sorry not to reply your letter.
    Ah .. How lazy am I !
    I will sent the reply as soon as possible. Just a minute please !!

    YUU

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