27.7.10

17/07/10 首都で

土曜日。

昨日マヌスに帰ってきた。首都に行くのが嫌で嫌で仕方が無かったが、行ってみると案外楽しいものだった。

 

PNGの理数科教師ボランティアみんなで、勉強会を行った。内容は、参加型問題解決の手法である。状況を分析し、問題を発見し、それを論理で並べて、可能な範囲での解決策を導くものである。現在、教師経験もなく、配属先の抱える問題解決に貢献できないでいる自分が歯がゆいと思っているボランティアが多いのである。そのために丸三日間を使って行った。

大事なことがいくつか分かった。我々ボランティアでさえ、3日の参加型ワークショップはかなりしんどいものであった。これは、学校、教師その現地の方々に問題解決に対して大きな動機づけがないと難しいということが明らかになった。気軽には使えないものではある。しかし、それでも、本当に困っている人には効果が上がることが期待できる。そして、本当に困っている学校というのはマヌスにも、他の州のボランティアが配属されている学校にもある。

まだ、言葉、文化の壁、ワークショップの運営というそもそもの難しさから、ボランティアが一人でこの手法を用いて任地の問題に取り組むのは難しいと思う。任地で、マヌスでこれに取り組みたい、そしてその取り組みを全員で共有したいと思う。そのために以前に流れた分科会をもう一度企画してみたい、そういう思いを理数科教師ボランティアで確認した。再確認はなんと勉強会最終日の打ち上げであった。

勉強会終了後、翌日速やかに任地に帰るのが筋である。しかし、マヌスには週四便しか飛行機がない都合で、一日首都に居た。いつも通っている中華料理屋がある。病気で上京したときから一人で通い詰めたお店で、店員さんからもなじみの客になってしまった。そこで働く店員さん、PNGの女性に勇気を出して声をかけた。前から気にかかっていたが全く勇気が出ずにいたのだが、外国人だからって遠慮していたら何も始まらないと思い、夕食に誘うことにした。やましい気持ちは無いし、いつも応対してくれて、いいひとだと思うから。彼女は喜んでくれた。予定があったようだが、快諾してくれた。タクシーで迎えに行った。その中華料理屋の前には数人店員さんが仕事を終えてたむろっていた。彼らも自分にいい印象を持ってくれているらしく、笑顔で送り出してくれた。私が首都を去ることを惜しんでくれた。二人でレストランに行った。お互いのことを全く知らないにもかかわらず、何か近いものを感じた。話は決して表面的でなかった。自分を偽ることなく、飾ることなく。やはり若いもの同士(彼女は19歳)だが、誠実にふるまえたと思う。好意は伝わってきたし、伝わったと思う。しかし過度な期待は持たせてはいけないと、自分の将来のこともしっかり話した。文化や価値観はやはり違うから・・しっかり説明しなければいけないと思った。いい友達でいようと。ここから何か発展するか、しないか、よくわからない。実際、彼女は美しいと思う。また会う約束をした。半年後に。

ただそういう気持ちを国を超えて持てるということがはっきり自覚できたことが嬉しかった。

夜9時には彼女を下宿に送った。自分もドミに帰った。ドミの門限は10時。この事実を知るボランティアたちからは散々に冷やかされた。でも、何もやましくないし、様々な欲求をぐっとこらえて誠実に振る舞えたと思う。。夜にクラブに行って、遊ぶのよりはるかに健全だと思う。逆にPNGでは出会いは無いという人たちよりは、きちんとこの国と本気で向き合っていると思う。

現在はマヌスにいる。ここでは電話回線も切れて、ネットは絶望的・・・だったが、首都で新兵器を買った。携帯電話会社の無線モデムである。携帯電話用の電波でインターネットが楽しめるというものである。またどんどん更新できれば、と願うがこれもいつだめになるやらと、どこかで思っていなければならない。

13.7.10

09/07/10 一年

金曜日。

また首都にいる。任地の電話線は切れてしまっているので、久しぶりの更新になった。

病後マヌスに帰って働いた。そしてterm2を無事に終えた。少し疲れるとすぐ頭痛がする。一か月程度続くらしい。・・復職してから学期末の生徒の評価のために、遅れていた授業をまくために働いた。ボランティアの集まり、隊員総会。

私は、ボランティアが首都に上がった時に宿泊できるドミトリーの管理委員の長を務めている。これがくせもので、私を大いに悩ませた。電話線がいつ切れるかも分からない場所にいるのに、自分がメールで苦情を受けたり、利用の許可を出したりしなければならなかったからである。きちんと自分の任地の状況を説明したにも関わらず、「大丈夫!」と無責任にも役職を押しつけられた。これは良くないということで、規約の改正、全ボランティアがドミの管理委員、長の仕事が良く分かるように明文化することなどを提案したりした。これまたメールでやり取りをしていた。もちろん電話線が切れたらストップ。規約や委員長の役割を変えるべきだと言うと、無責任だとか、社会人失格と散々に言われてしまった。・・結局ドミの規約の一部の変更を議題にして、討論した。一部だけでも、ドミが公平に、皆に喜ばれるようになればいいと思う。

今年で三十周年の協力隊を祝う式典。ボランティアの企画でないので乗っかるだけだった。日本語、ピジンの歌を歌った。ギターを持って行って弾いた。

ボランティアの安全のために開かれる安全対策協議会。凶悪な事件が後を絶たない。やはり首都が危ないようだ。自分も一月に強盗にあっている。気軽に歩ける場所なんてどこにもない。

活動中間発表会、自分が今までやってきたことを10分にまとめてプレゼンした。活動風景の映像や写真を流す人もいるし、任地の問題点を取り上げる人も。自分の同期や他の職種、同職種の人の様子を聞くとヒントを得られることもある。

自分がPNGに来たのは、去年の6月。一年が経った

日本で訓練を受けたときの仲間からメールをもらっていた。勝手に企画した近況報告会をほったらかしにして叱られた。でも叱ってくれるだけありがたい。いい仲間を持った。

大学時代の仲間が手紙をくれた。デング熱だったことを聞いて心配してくれた。就職活動も無事終わったらしい。本当に良かった。

いつの間にかボランティアの中でも古株になっていた。頼られることも多い。皆はじめは何も分からない。自分も未だ分かっているのか怪しいが、それでも少しは経験がある。それをもとに何か後輩にいい影響を残せれば、その思いでドミの制度改善や分科会の改善を試みた。なかなか思うようにはいかないし、疲れて投げ出したくもなる。それでも、なんとかこうして少しずつでも前進している感覚、一緒に頑張ろうと言ってくれる人がいると、まだやろうと思える。

残り半分を切った。ブログも更新できる回数も限られている。細々とでも止めずに続けられたらと思う。

みなさん、心配かけてごめんなさい。それでは!

12.7.10

09/07/10 一年

金曜日。

また首都にいる。任地の電話線は切れてしまっているので、久しぶりの更新になった。

病後マヌスに帰って働いた。そしてterm2を無事に終えた。少し疲れるとすぐ頭痛がする。一か月程度続くらしい。・・復職してから学期末の生徒の評価のために、遅れていた授業をまくために働いた。ボランティアの集まり、隊員総会。

私は、ボランティアが首都に上がった時に宿泊できるドミトリーの管理委員の長を務めている。これがくせもので、私を大いに悩ませた。電話線がいつ切れるかも分からない場所にいるのに、自分がメールで苦情を受けたり、利用の許可を出したりしなければならなかったからである。きちんと自分の任地の状況を説明したにも関わらず、「大丈夫!」と無責任にも役職を押しつけられた。これは良くないということで、規約の改正、全ボランティアがドミの管理委員、長の仕事が良く分かるように明文化することなどを提案したりした。これまたメールでやり取りをしていた。もちろん電話線が切れたらストップ。規約や委員長の役割を変えるべきだと言うと、無責任だとか、社会人失格と散々に言われてしまった。・・結局ドミの規約の一部の変更を議題にして、討論した。一部だけでも、ドミが公平に、皆に喜ばれるようになればいいと思う。

今年で三十周年の協力隊を祝う式典。ボランティアの企画でないので乗っかるだけだった。日本語、ピジンの歌を歌った。ギターを持って行って弾いた。

ボランティアの安全のために開かれる安全対策協議会。凶悪な事件が後を絶たない。やはり首都が危ないようだ。自分も一月に強盗にあっている。気軽に歩ける場所なんてどこにもない。

活動中間発表会、自分が今までやってきたことを10分にまとめてプレゼンした。活動風景の映像や写真を流す人もいるし、任地の問題点を取り上げる人も。自分の同期や他の職種、同職種の人の様子を聞くとヒントを得られることもある。

自分がPNGに来たのは、去年の6月。一年が経った

日本で訓練を受けたときの仲間からメールをもらっていた。勝手に企画した近況報告会をほったらかしにして叱られた。でも叱ってくれるだけありがたい。いい仲間を持った。

大学時代の仲間が手紙をくれた。デング熱だったことを聞いて心配してくれた。就職活動も無事終わったらしい。本当に良かった。

いつの間にかボランティアの中でも古株になっていた。頼られることも多い。皆はじめは何も分からない。自分も未だ分かっているのか怪しいが、それでも少しは経験がある。それをもとに何か後輩にいい影響を残せれば、その思いでドミの制度改善や分科会の改善を試みた。なかなか思うようにはいかないし、疲れて投げ出したくもなる。それでも、なんとかこうして少しずつでも前進している感覚、一緒に頑張ろうと言ってくれる人がいると、まだやろうと思える。

残り半分を切った。ブログも更新できる回数も限られている。細々とでも止めずに続けられたらと思う。

みなさん、心配かけてごめんなさい。それでは!

09/07/10 一年

金曜日。

また首都にいる。任地の電話線は切れてしまっているので、久しぶりの更新になった。

病後マヌスに帰って働いた。そしてterm2を無事に終えた。少し疲れるとすぐ頭痛がする。一か月程度続くらしい。・・復職してから学期末の生徒の評価のために、遅れていた授業をまくために働いた。ボランティアの集まり、隊員総会。

私は、ボランティアが首都に上がった時に宿泊できるドミトリーの管理委員の長を務めている。これがくせもので、私を大いに悩ませた。電話線がいつ切れるかも分からない場所にいるのに、自分がメールで苦情を受けたり、利用の許可を出したりしなければならなかったからである。きちんと自分の任地の状況を説明したにも関わらず、「大丈夫!」と無責任にも役職を押しつけられた。これは良くないということで、規約の改正、全ボランティアがドミの管理委員、長の仕事が良く分かるように明文化することなどを提案したりした。これまたメールでやり取りをしていた。もちろん電話線が切れたらストップ。規約や委員長の役割を変えるべきだと言うと、無責任だとか、社会人失格と散々に言われてしまった。・・結局ドミの規約の一部の変更を議題にして、討論した。一部だけでも、ドミが公平に、皆に喜ばれるようになればいいと思う。

今年で三十周年の協力隊を祝う式典。ボランティアの企画でないので乗っかるだけだった。日本語、ピジンの歌を歌った。ギターを持って行って弾いた。

ボランティアの安全のために開かれる安全対策協議会。凶悪な事件が後を絶たない。やはり首都が危ないようだ。自分も一月に強盗にあっている。気軽に歩ける場所なんてどこにもない。

活動中間発表会、自分が今までやってきたことを10分にまとめてプレゼンした。活動風景の映像や写真を流す人もいるし、任地の問題点を取り上げる人も。自分の同期や他の職種、同職種の人の様子を聞くとヒントを得られることもある。

自分がPNGに来たのは、去年の6月。一年が経った

日本で訓練を受けたときの仲間からメールをもらっていた。勝手に企画した近況報告会をほったらかしにして叱られた。でも叱ってくれるだけありがたい。いい仲間を持った。

大学時代の仲間が手紙をくれた。デング熱だったことを聞いて心配してくれた。就職活動も無事終わったらしい。本当に良かった。

いつの間にかボランティアの中でも古株になっていた。頼られることも多い。皆はじめは何も分からない。自分も未だ分かっているのか怪しいが、それでも少しは経験がある。それをもとに何か後輩にいい影響を残せれば、その思いでドミの制度改善や分科会の改善を試みた。なかなか思うようにはいかないし、疲れて投げ出したくもなる。それでも、なんとかこうして少しずつでも前進している感覚、一緒に頑張ろうと言ってくれる人がいると、まだやろうと思える。

残り半分を切った。ブログも更新できる回数も限られている。細々とでも止めずに続けられたらと思う。

心配かけてごめんなさい。それでは!