31.3.10

29/03/10 畑

月曜日。

最近、お隣さんと畑仕事のことでやりとりしている。

もともとは去ってしまったSさんが隣人Pと始めた共同菜園である。自分はほとんど関心を示すことはなかった。正直学校のことで頭がいっぱいだった。土と会話する時間とエネルギーがあるなら、人と繋がっていたかった。畑仕事は見ていて楽とは思えなかった。

しかしSさんが去り、畑は藪になりつつあった。Pおばさんは「私たちの畑」と呼び、そこで収穫したカボチャ、ナス、オクラをくれた。ナスとオクラは食べないらしい。自分は何も働いていないのに。なんだか気が引けたので断ったが、分けるのが自分たちの文化なんだと、折れない。仕方なく受け取った。もちろん嬉しいのだけれど・・。

こういう気分をずっと続けるのも辛いので、一緒に働くことにした。藪を畑に戻さなくてはならない。Pおばさんと最近一緒に住んでるそのお姉さんが土曜に畑で働いた。おばさんたちは働こうとする私に「肌が弱いんだから任せなさい」と言う。耕す段階になったら呼ぶから、その時一緒にやろう。ということで待つことになった。めっちゃ甘やかされている。

日曜日にいつも通り、カレーライスを作った。具はいつも入る玉ねぎと豆に加えて、もらったナス、カボチャ、たまたま売ってたニンジンとジャガイモ。なんて豪華なんだ!肉は冷凍の豚肉。作ってPおばさんにもおすそ分け。

辛い料理が好きだと言い張る彼女曰く、美味しかったらしい。喜んでもらえてよかった。

22/03/10 カスカス

月曜日。

先週の土曜日。カスカスという生き物の燻されたものを買った。このカスカス、全長約30cm以上あるサルのような、ネズミのような動物である。燻製は、前面を首から下をまっぷたつにされて、内臓が既に取り除かれていた。体の中は木が差してあって、中が丸見え。彼は大の字を広げていた。そのままでも食べられそうだが、市場のおばさんたちは茹でて食べろと言っていた。すこしグロテスク。燻製は美味しそうなにおいであった。結局買うことにした。15キナ、大体600円。Sさん曰く、最近円が高いらしい。

日曜日。さて・・どうしたものか。まずは自分で分解してみた。皮を剥いだり、骨をちぎったり。最初は抵抗があったが、自分の中の野性に助けられた。腕や足は比較的簡単だったが、背中回り、肩の肉は薄く、ナイフで取るには限界があった。

腕など、大きな塊はカレーにした。薄くなった肉は炒めた。残った頭とか背骨周辺は茹でてみた。

炒めた肉は脂肪が少なく、固かったが、なんだか豚肉を食べているようだった。茹でたものは・・仕方がないのでかじりついた。カスカスの背中にかぶりつく自分のその野性。あばら骨から肉を貪る自分。まあ貴重な体験といことで。カレーはまあ、カレーだった。何を入れても大丈夫というのはこういうことか。しかし、固い。

一部の村では猫を食べると聞いた。Sさんの村人がSさんの飼い猫(やや太り気味?)を見て、開口一番

「グッペラ アブス (お肉(食用))」

と言ったらしい。さすがに共に暮らした猫にそういう感覚を持てないが、でも、猫も食べられるんだな~とカスカスをさばいてみて、思った。

日曜日の朝、Louでお世話になったJ(生徒)が家に来た。この生き物のカレーを振る舞おうと思ったが、彼は宗教上の問題でこいつが食べられなかった。SDAというカトリックとは違う宗派で、豚も食べられない。あらま・・。しかし、帰り際、カスカスの話をすると、彼は食べてみたい、と言い出した。「えっ!食べれないっていったでしょ?」そう思いながら差し出すと、彼は腕をちぎって、自分も初めてだと言いながら・・・食べた。しかも美味しかったらしい。

そんなものなんだな。

17.3.10

16/03/10 散髪(リベンジ)

火曜日。

先先週の日曜日のことだ。暑い。何かむしゃくしゃする気持ちを抑えられずに、髪を切った。PNGに来て4度目の散髪だ。

1度目はYさんに切ってもらった。それ以降は自分で。うまくいったか否か・・それは周りの反応で判断するしかしない。特に見えない後ろ側は冒険だ。世の中には器用な人が居て、櫛を上手に使ってお洒落さんになる人もいる。自分は面倒くさくてできない。前面だけいつも通り、しかし後ろは文字通り手探りだった。

今回はひどかったらしい。生徒が爆笑。心配して切りなおしてあげるという者も。同僚も次は相談しなよと言う。生徒たちには「観察」の重要性を語った。自分が何をしているか理解せずに何かをする危険性について・・。さらに他人の反応を観察することで、自分の見れない後ろ側の様子に見当がつくことも。

先週の金曜日。結局、放課後に生徒に髪を切ってもらった。

根本的に髪の質が現地の皆様とは違うので、生徒も苦戦していた。彼らの髪は立体的に増えていくアフロに対して、自分の髪の毛は伸びて垂れていく。側面、後ろは刈上げられ、上は残された。その境界は実に直線的で明瞭なものである。さっきまで紙を切っていたそのハサミで華麗な線が引かれた。今まで何度も恥ずかしい髪型を経験してきたが、今回もまた記憶に残るものになった。最高だ!という評判もあれば、大丈夫か?全部剃ったほうがいいんじゃない?という声も・・。とにかく言えることは物議を醸すだけのヘアスタイルであるということが分かった。こちらの警察官や軍隊の人がする髪型らしい。

せっかく切ってもらって、結局坊主にするのも何だか切ってもらった生徒に申し訳無い。しかし、切ってしまえという人は普段から気を遣ってくれる人たちで、本気で心配されているようにも聞こえる。

「ホワイトマンは皆ナイスな髪型をしているのに、Smileのはひどいぞ!」

自分としてはそんなに悪くないと思っているのだが。

14.3.10

14/03/10 Sさん

日曜日。

今日、同居していたボランティアSさんが任地を離れた。もう2年間の任期を終えたのだ。

彼は村落開発普及員として、パプアニューギニア、マヌス州政府に配属された。彼の2年間は決して平坦ではなかった。仕事をしても同僚の協力が得られないこともあった。しかし彼は自分の信念を強く持っていた。村に行ってプロジェクトを立ち上げた。しかし、決して企画を与えるのでなく、村人自身の問題意識ややる気を大切にしていた。

いつも彼の食卓にはいい匂いが漂っていた。私に幾つかの料理を教えてくれた。仕事の話で相談にのってもらった。彼の冷静な目線は夢見がちで感覚的な自分の考えに足りないものだった。全てにおいて無精な私だったが、とても可愛がってもらった。苦しいときは、大体彼に頼っていた。

そんなSさんも苦労なさっていたことは話に聞いている。最後まで実感が無いと言っていた。ずっとここにいたから・・。

金曜日の夜は、私と隣の学校のYさんと分科会の調整をしていた。PCMの勉強をするということで、実際に使ってみたのだがなかなかすぐにできるものではなかった。Sさんは真夜中3時まで付き合ってくださった。荷づくりで忙しいにも関わらず。

土曜日は、地元の方が開いてくれたお別れ会に呼ばれた。私もYさんも同席した。仕事で関わった方々も居たが、皆がSさんの仕事を評価しているようだった。自分のお別れ会でもただ祝われるのでなく、自分で料理を持って行った。いつも世話になるなら、世話をし返していた。借りは作らないように努めていた。

日曜日。嵐がやってきた。ずっと雨。風も強い。飛行機は来るのか心配される天気だった。そんな中、彼の知り合いが見送りに来た。彼は幾つものお土産を周りからもらっていた。愛されていた。

「一期一会」そのとき限りだと思えるから、出会いを大事にできる。そう言っていた。また新しい地でまた新しい出会いをする。その一つ一つに全力で当たっている彼の生き方は潔さを感じさせた。

自分とは違う・・。

彼に引き換え、私は過去に引きずられて生きているように見える。

私は過去の人間でなく今を生きている。色んな場所に居る私の大切な人たちはとても大切な思い出の一部である。思い出はとても甘く、美しくて、その世界に浸りたくなる。心の中の日本はとてもきれいで、温かい。

しかし、その人々は同時に今を生きている。彼らを止まった思い出にすることも、今を共に生きる仲間にすることもできる。私は、つい忘れてしまいがちだが、目を閉じるためでなく、目を見開き、世界を味わうためにこうして必死に生きているんだ。だったら、仲間たちと古き良き話をするのでなく、私たちの今見ているもの、今感じているものの話をしていないといけない。仲間たちは私の世界を大きく、豊かにしてくれる。私一人では気付かないことに気付き、見えないことを見て、考えないことを考える。Sさんはそれをもう一度確認して下さった。私はSさんのおかげで多くのものに触れた。

ありがとうございました。

その時を全力で生きる自分が再びSさんの前に現れることができたらいいと思う。

それまでお元気で!

7.3.10

07/03/10 国際協力と教育

日曜日。

まだ地学が時間割りに載らない。もう1学期の半分が終わろうとしているのに・・これでいいはずはないので、自分と生徒が空いている時間に授業を持っている。しかし、予定の内容をカバーするには時間が足りない。

 

毎週隣の村からYさんが街にやってっくる。分科会について話し合うためである。金曜日の夕方やってきて、私のバリエーションのない手料理を食べて、語り合う。夜3時まで話し込む。バスが日曜日は無いので、土曜の昼に帰ってしまうからだ。こんな生活がずっと続いている。私の作った企画書の足りない部分を補ってもらう。先週は全員に企画案の粗いものを作って送った。任地によってはメールを読めない人もいるのでファックスも使わないといけない。全員の意見を調整するのは楽ではない。もう全員が合うのは本番のみだからだ。

そういう訳で、金曜の夜からずっとパソコンに向かって企画書を作っている。今回の分科会は、今まで開催されてきたものと大きく異なるものにしようとしている。それは簡単ではない。

 

私は国際協力をするために派遣されている。PNGの発展を支えるためにである。お偉い方が、教育分野での援助が必要だと考えているから、自分を含めて10人が理数科教師として派遣されている。ボランティア一人一人は大義を考えずに教師をしていればいいのか?それは間違っている。大義、自分の目的を理解せずして成果は出せないからだ。成果とは要するに、目標に近づいたか遠のいたかということである。そして「教師をする」と一言で表しても、やり方は様々なのである。ひたすら生徒の進学実績を良くするために教えることもできる。そうやって働いているボランティアも居ると思う。日本みたいな学校にしようとして働くボランティアも居ると思う。それは、大義・・我々がすべきことと一致しているだろうか。

もっと細かく言えば、一つの授業の目的が決まらなければ、良い授業か否かも決められない。「実験はすべきである」というのは絶対的なものでなく、目指す教育に依存する手段なのである。自分は生徒が「よりよく」生きていけるように必要な力を付けること、彼らが「よりよい」国、世界をつくるのに必要な力をつけることを目標に授業を作っている。彼らが「よりよい」人生ってなんだろうかと彼らなりに葛藤して答えを見つける、でも多分ずっと考え続けなければならない。葛藤の過程には様々な力が必要だ。論理的に考えること、人の言うことをただ鵜呑みにしないこと、歴史から学ぶこと、本から学ぶこと、自然から学ぶこと・・。彼らが答えを見つけたら、それの実現のためにまた力が必要だ。説得すること、諦めないこと、ときには諦めて別の答えを探すこと、助けを借りること、自分で頑張ること・・。彼らが付けるべき力は沢山ある。そうと分かれば授業のやり方も変わる。授業以外にも方法があることも分かる。教師もボランティアも本当に目指したいものについて考えていないと、成果が出せない。この国の発展とは、高層ビルが立ち並ぶことなのか?日本みたいになることなのか?もしそうならそれなりのやり方がある。でも日本には日本の課題があって、真似するべきでないことも沢山ある。私は、PNGの人が、子どもたちが自分で目標を決めて、そこに向かって歩き出してほしい。一緒によりよい世界ってなんだろうって考えたり、その実現に向けて動く仲間になって欲しい。日本だってまだまだ。

実際、私たちボランティアの活動の成果と言うのは、陽の目を見ない上に誰も気にかけない。報告書は厳重に保管されている。働いて、無事に帰ってくれればそれでいいという具合。だれも評価しないから、自分たちできちんと「国際協力」するしかない。

 

ただがむしゃらに授業するのでなく、現場の抱える問題をきちんとみつめて必要なことをやってはどうかというのが今回の分科会のコンセプトだ。例年なら10人集まって、任地の人々を巻き込んで研究授業、日本文化紹介をする。今回は、村落開発しているSさんの使っているPCMという、参加型の問題発見、解決のツールを学び、使ってみようという内容を提案している。

この企画が通るか否か・・。自分の企画書に懸かっている。やってやる!

07/03/10 morning glory

 

「もうダメだよ・・限界だ!」

毎朝、ベッドの上で、そして朝ご飯を食べながら、シャワーを浴びながら、靴ひもを結びながら思う。

「こんなに辛いと思いながら、それでも自分は生きなければならないのか」

「誰か、タオルを投げてくれ!自分はもう闘えない。」

昔からずっと朝が苦手だった。早起きが出来ない訳ではない。毎朝6時前には起きている。全てから逃げ出したくなる。でも逃げたらもっと辛いと分かっているから逃げられない。こんなことを考え始めたのはPNGに来てからでなく、ずっと前、日本に居るときからだ。

「死にたくないから生きている」

私の友人がかつてそう言った。分かる。本当に良く分かる。死んでしまったらもう戻れないのが恐いんだ。その恐怖を越えたら人は簡単に命を捨てられるだろう。不可逆性の恐怖・・自分には越えられない。

今は、辛い。でもいつか来る morning gloryを信じているから生きている。あるのか、無いのか、分からない。でも、探さない限り見つからないそれのために生きている。どっかにこの生の意味があると信じて。無いと言った途端に終わる旅。しかし、どんなにしんどくても、壁に頭を打ちながら、その先に向かって飛んでいく。それが出来るのは、自分の変化、世界の変化を感じているからだ。自分は1年前の自分とは違う場所を飛んでいる。そして、そんな自分が見る世界も同じではない。いろんなことを繰り返し、繰り返し・・でも違う場所を飛んでいる。「生きることは変わることだ」、ある映画の原作で主人公が叫んだ。

morning gloryこの単語には大学時代の教職の授業で出てきた教材例の一つ「朝顔」のことを学んだときに出会った。それ以来、ただ朝を恐れるのでなく、毎朝それを探している。また朝がやってくる。それは今の自分にとって最も恐ろしい瞬間であると同時に、そのゴールへの期待の瞬間なはずなのだ。

まだ飛べる。そう自分に言い聞かせる。

2.3.10

28/02/10 スパムメール

日曜日。

スパムメールを自動配信する悪質なサイトの被害を受けている。自分の知人の名で招待メールが来た、軽率にもそれを信じ登録してしまった。その知人は既に被害者で、登録した直後、その後も自分のアドレス帳、履歴の中にあるアドレスに無差別にメールを送る。パスワードを変えても、そのアドレスを名乗ってメールを送り続ける。

全知人にごめんなさいというメールを送る破目になる。これはなんとも自虐的で、情けなくなる。PNGにまで来て、なにやってんだ・・当然自分を責める。そのメールを受け取ったときの歓喜はもう思い出したくない。しかし、もちろん自分の不注意が原因なので仕方がない。とにかく被害が拡大しないように努めるしかないのだ。自分の過失を速やかに認めて、対処すること。その大切さをその知人に教わった。

この場を借りて、関係者の皆様にもう一度注意を。

thousandsmilesを名乗る怪しいメールにご注意をお願いします。