18.8.09

18/08/09 大雨

一日中大雨だった。

いつもは自転車だが、今日は歩いて学校へ行った。今日はperiod1から化学の授業・・のはずだった。学校に行ってみると食堂でなにやら生徒が試験を受けているようだ。気にせず職員室へ行くと「今日のgrade11の授業は無い」と言われた。残念。というか早く教えて欲しかった。

気を取り直してperiod2の授業見学に行くと担当の教師が来ない。遅れてくるんだろう。雨だしね。そうして待つこと20分。授業の半分終わっちゃった。少しウズウズしてきた。という訳で生徒に「科学と日本の話どっちが聞きたい?」と聞いた。迷いなく「日本!」だった。

日本地図でも書くか・・チョークが無い。仕方がないので喋りまくった。大雨にかき消されないように大声で。

日本人は米を食べている。マヌスはサゴというパームヤシの類の幹を絞ったものを食べる。でも最近はパンも食べるし、ヌードルも食べるんだ。PNGと同じです。でもそのせいで農家の何人かは米を作るのをやめてしまったんだ。日本人は沢山食べものを輸入していて、ある人はそれは問題だと思っている。もし船が来なくなったらみんな死んじゃうでしょ?でも、日本の会社は色んな工業製品を作ってそれで儲けて、食べ物を買えるのだからそれでいい、という人もいるよ。

車がたくさん走っていて、時々動かなくなる。だからトーキョーの人は列車に乗るんだ。これが地上も地下も色んな方向に走っていて自分も良く知らない。例えば、僕の故郷ヤマグチ・・有名なヒロシマの近くだよ。・・・知らないか。まだ歴史の授業で学んでいないらしい。(高学年はヒロシマどころかホンシュウなんて言葉まで知っている)。

そういうわけで原爆の話もした・・。たった一つの爆弾で何万人の人が死んだこと、今まさに科学で学んでいる原子の力だということ、現在も苦しんでいる人がいるということ。そのような例は歴史上2回しかないということも。時間が来た。次の授業だ・・教師は来ないが、もし来たら彼らは遠慮して入って来ないので、止めることにした。次聞くならどんな話がいいか聞いた。武道がいい、と男の子が言った。残念ながら大して知らない。日本の歴史がいいと女の子が言った。ええっ!でもやってみよう。将来小学校教諭を目指しているのだし。歴史が大の苦手だった高校時代を思い出した・・でも嫌いだったわけではない。

今日はサッカーも無し。早く家に帰るとお隣の女の子がギターを弾きたいと言うのでそれに付き合った。いい歌だな~と思いながら聞いていた。一番好きな歌を教えてもらった。ノートに書いてくれた。賛美歌だった。

WE HAVE COME FROM MILES AWAY

we have come from miles away, to be with you all

with a fellowship and praising of our GOD

we believe in him

GOD has mighty things He`s done for usbecause united in the lord

these are all my brothers and sisters from all around the world

and from different races colours tongues and nations

but glory be to GOD

信仰のない私が歌うのってどうなんだろう。

 

今日は貯めた書き込みで一気に更新するつもりだ。読む気を削ぐだろうな。

17/08/09 初授業

ついに来た。指導案も作った。板書計画も作った。

理科主任Usuさんは後ろで見ていた。教科は化学。単元は熱力学。内部エネルギーとエンタルピー、そして吸熱・発熱反応に対する応用についてだ。日本の高校生は学ばない範囲を含んでいる。だから、噛み砕いた。教科書は無い。だからノートは彼らの自習のために必須なのだ。

40分はあっという間だった。簡単に言うと、アドリブで噛み砕きすぎた。目標の三分の二しか進まなかった。一度教育実習で同じ失敗をしているのに。まだまだ修行が必要だ。喋れても、ごにゃごにゃ喋る生徒の言葉がなかなか聞き取れない・・これが授業運営での不安要素になっている気もする。これも何とかしたい。生徒が迷っているとき、それは生徒が考える一番のチャンスだから。

こちらの子どもは(実は私も)ノートを取りながら話が聞けない。しかも、全力できれいなノートを作りあげる。これに配慮が必要だ。彼の手を止めて、耳を傾けさせ、考えてもらうには・・・きっと板書を写す時間を約束しなければ無理だろう。板書を先に一気に書き、一気に写させそれから一気に喋る。そんなスタイルの方も多い。しかし板書が出来るには、過程つまり物語がある。出来上がりは大事だが、その物語が生徒に考えさせる機会を生み出す。「エントロピーが正の値を取る!それってどんな意味だろう・・。」それに生徒を巻き込みたい。

明日は内容をきちっと終わらせよう。質疑応答も時間内に。

おや、日本の授業って必ずしもそうだろうか?休憩時間に当たり前のように質問をしていた気もするが・・。「休憩時間」ってなんだろう。日本の状態も決して最善とは言えないんだろうな、と気がついた。思いがけない収穫だった。

今日初めて学校にパソコンを持って行った。恐る恐る・・机の上に出し、電源を入れて仕事を始めた。モノが無くなるという話を先輩から聞いていたからだ。しかし同僚は特に反応は無かった。現地の教師にも使っている人がいるで、そんなに珍しくないのだと思う。指導案、書きまくろう。あとで見るのも恥ずかしいんだろうな。

サッカー部にも通い続け、ドロドロの地面にも慣れてきた。平日毎日やっている。やっぱり自分よりうまくて速い。素足なのにいい球が飛ぶ。しかし、見てると自分の仕事も見える。こいつ速いんだよな・・なんて思いながらチェックする。今日は何故か私がクーリングダウンを先導した。監督の指示だった。明日から来月の州大会に向けて本格的に始動するらしい。楽しい。が、せわしい毎日だ。

もう少し睡眠時間を・・と朝、昼間に毎日思うのだが・・。日本と変わらない。

16/08/09 ネットワーク

今日はウェブに接続した。ダイヤルアップで我が家でウェブに繋がる。遅いしよく切れる。写真をダウンロードするのは絶望的な時間を要する。それでもありがたい。

日本にいる友人知人が連絡をくれる。日本での暮らしだって決して楽ではない。なんせ時間が無い。それでも私のことを気にかけてくれる人がいる。ありがたい。日本のニュース、同窓会、就職内定の知らせ・・何でも嬉しいものだ。だから、彼らに何か喜んでもらえるものが書けたらと思うが、なかなかそういう方向に進めている自覚が無い。

また、世界中から連絡をもらう。私たち日本のボランティアは世界各地にいる。共に訓練を受けた仲間だ。彼らもそれぞれの思いを胸に活動している。そんな皆さんからもメールを受け取った。彼らのブログを拝見した。何かを感じない、考えない訳にはいかないんだと思う。地域・国によって違うことは多いだろう。きっと、中米と大洋州は風景がまるで違う。それでも、活動する私たちに何か「共通項」がある、そう思うのだ。

2ヵ月ほどの訓練を日本で受けた。自分の立場の理解や言語習得の助けになった。私が訓練所で得た最も大きな財産は、仲間だ。自分一人で世界のなかで活動しているのではないというこの感覚だ。ときには辛いこともあるだろう。現地人の仲間ができ、彼らに慰められればこれに越したことはない。私はわりと早く色々手を広げている部類かもしれない。2年かけて「かけがえのない仲間」をこの地で作るのが目標だ。それでも言葉の壁、意識の壁、色々なところで壁が見える。心から打ち解けるのは簡単ではない。きっと時間がかかる。

「日本人ひとり」、自分が日本人であることを忘れ、現地人と同化して生きる。それが国際ボランティアの醍醐味という人もいるのかもしれない。だが私はそうは思わない。日本を背負い、使命や情熱を背負って、現地人の中に入り何かしたい。自費で、個人で来て勝手にやって好きなときに帰るボランティアもあっていい。しかし国費で訓練を受け、任国まで手配され、日の丸背負って働くボランティアはそれとは違う。皆がこのような意識でないことも既に知っている。だからまだ確信はないが、そこに「共通項」をみつけられるような気がしている。

そんなことを考えた。連絡を下さった全ての方々に感謝している。

15/08/09 お隣さん

土曜日。学校もサッカー部も土日はお休み。ゆっくりと休日を満喫した。午前中は市場へお買いもの。平日はなかなか買い物が出来ないのでまとめて色々買おうという作戦だった。菜っ葉、さつまいもを買って、カニを丸ごと買った。PNGでも新鮮な海産物を買える場所は珍しいらしい。菜っ葉もサービスしてもらったし、楽しいお買いものだった。しかし困ったことが起きている。この島、今物資不足なのだ。本島からの定期船がきていないらしい。小麦、塩、米、パスタが品切れだ。来月来るとか、来週来るとか、様々な噂が飛び交っている。どうなるやら・・。塩と小麦が変えないのは痛かった。

午後は家でゆっくりするつもりだった。

我が家は高床式で二世帯が住めるようになっている。一階(床の下・地面)は共用スペースになっている。実際には隣はさらに2世帯住んでいる。Poraさんというおばさんとその姪っ子が1世帯。もう一世帯もおばさんと子どもふたり。成人の男は居ない。

すると家の下から優しい歌声が聞こえた。この国で聞く歌(singsing)のほとんどがアップテンポで手拍子したくなるような陽気な歌である。なんだかそれとは違う、吸い込まれるような歌だった。気になって降りてみると、そのPoraさんとその姪っ子がいた。姪っ子Shitaは高校生。彼女の歌声だった。なんでも賛美歌らしい。「Smile on your face」という歌を私に教えてくれた。彼女はギターを習っているらしい。教会での賛美歌の合唱もギター伴奏が普通のようだ。・・私のギターを貸すとゆっくりと弾きながら歌った。まだ不慣れなようだったので、私がコードを聞いて伴奏した。

``LORD I SAW YOUR FACE``

LORD I saw your face last night

when I look in the sky, you were smiling

you told me it would be OK

and  you`ll make a way in my dark times

おばさんは聞きながらキーが違う!この子は歌ってばかりで働かない!だのぶつくさ言いながら掃除をしていた。Ritaは先週、同期T隊員のいるPapitalai secondary schoolを退学した。なんでも夜に宿題をするために図書館の本を無断で持ち出したことが原因らしい。その結果来年から私のいるManus secoundary school に移動することになった。

たくさんの歌を紹介してくれた。英語、ピジン語、そしてtok plesの。するとPoraが釣りに行くと言い出した。毎週末、土日に釣りに行くらしい。一緒について行った。実は首都で釣り糸、針などを買っておいたのだ!

桟橋まで歩いて行った。途中「何処行くの?」と聞かれたので「釣りするんだ!」と高らかに言った。するとPoraが「ダメよ!、言ったら釣れなくなるんだから」と。そう言うジンクスがあるらしい。Shitaがパンを買うために二手に別れた。するとPoraは「spakman(酔っ払い)が居ないか心配だ」とずっとShitaの後ろ姿を見ていた。愚痴はこぼすが、可愛い姪っ子なんだな~と嬉しくなった。実際この国で悪さをするのはほとんど酔っ払いらしい。無事桟橋で合流してた。パンを団子にしてエサにした。糸を垂らせば魚が寄ってくる。興奮した。ジンクスが効いたのか、PoraもRitaも、私も釣れなかった。しかし、Poraは「リラックスするのが一番大事。釣れなくてもいいんだ」とお構いなし。S隊員の話では、「釣れたことがない」とのことだった。

ゆっくり時間は流れた。明日は朝6時から教会にいくとのこと・・。

14/08/09 勉強

今日は金曜日。昨日一緒に課外授業を持った同僚とともに通常授業の補助をするはずだった。しかし、スタッフルームで待てども彼は来ない。探してみるおと彼は別のクラスを教えているではないか!授業日程の変更のせいで彼はその時間教えることが出来ないとのことだった。行ってみると生徒は教師を待っている・・しかたない、やるしかない。これが教壇デビュー in PNG だった。しかし、チョークが無い。隣の教室から生徒が借りてきた。問題集も無い。生徒が昨日取ったとてもきれいなノートを見せてくれた。

生徒はかなり照れ屋だが、発言する。細々と。「先生、英語が苦手だから大きな声でハッキリ言ってよ!」と胸を張っていう自分が少し頼もしかった。質問すると、基礎力が無いことに気付く。平面のグラフに示された座標にプロットできない。というよりも・・当てずっぽうで答えを言っている。ときに勘も大事だ。しかし、「なぜ?」と問いかけることを大事にして欲しかった。

来週の授業案を作った。内容の理解から始めた。大学での勉強が自分を支え出した。分かりやすく、そして正しいことを・・感動とともに伝えられたら・・。気付いたら「生徒に考えさせる授業」からかけ離れていた。参ったな。

放課後、学校を出ようとすると、数人が理科実験室の周りを掃除していた。別に用事もないので、何か見せたくなった。実験室に以前の実験試験で使った、植物細胞を観察させた顕微鏡がそのまま置いてあったのでそれを触らせた。顕微鏡の使い方を教えた。教師曰く「生徒はすぐ壊すから触らせない」と。実際、顕微鏡を触れるのは私以外にひとりの教師だけなのだ。それは教師がきちんと教えられないからでは?という信念のもと・・・懇切丁寧に教えた。幸いにも生徒はわずか二人。それでも苦戦した。「違うってば!」の連続。必要なのはきっと忍耐だ。

13/08/09 たなぼた

今日は、朝からずっと人と仕事をした。すると色々と仕事が降ってきた。

理科主任が私のタイムスケジュールを作ってくれた。私が実験室で何やらやってるのを、彼女は知っているのでかなり気遣ってくれた。完全に私の希望に沿ってくれた。現在2つの授業を持とうかと計画していた。どの授業も週5コマなので、始めは週10コマで流していくことになりそうだ。前から考えていた科学、もう1つはgrade11 の化学である。それらのスケジュールを示してくれたのである。ちなみに皆さん20コマ、25コマ持っている状態である。

grade11 で熱力学を教えていたが、どうも次のトピックが熱力学関数のようだ・・エントロピー、自由エネルギー、エンタルピー。高校生が学ぶのか・・。少し驚いたが、簡単な概念と有用性を話せば良いようだった。概念的な説明が込み入ると、ここの教師はしばしば間違ったことを教えていたりしている。授業後、スタッフルームにて「教えたい?」と聞かれた。少し戸惑ったが「次の授業やるよ!」と答えて、持つことになった。

スタッフルームでさらに実験室について話した。理科主任は実験をときどき見せているが、モノが無いから思い通りできないと話した。校長が話した。「お金があるから実験室を新しく作る」と。驚いた、いつのことやらと思っていたが「すぐ作る」らしい。そういう話はあったらしい。必要なものをリストアップすれば買うということなので、これから理科主任とリスト作りをすることになった。

今日は実験室でなく、放課後は理科教員室に居た。すると、同僚が課外授業を見ないかと誘ってくれた。電磁気の授業を私が準備しているのを知っていて、課外でそれをGrade10に復習するということだった。過去のNational Exam. から問題を3つだけ私が選んで解せることにした。それぞれの問題で生徒に考えて欲しい内容を彼に語った。電圧、電流について、回路を水の流れるホースに例えて語ると先生がかなり食いついた!自分も生徒だった頃、見えない電流の正体をなんとなくイメージ出来たときは嬉しかった記憶がある。同僚はこのイメージを自分のものにしようと必死だった。「これ、生徒の前で語るといいよ!」って私は提案して一緒に課外授業に望んだ。途中で喋ったら彼のプライドを傷つけないか不安だった。が、彼は問題の途中でも、説明の途中でも私の話を聞きたがった。ときに私の英語を彼が支えてくれた。生徒たちも聞き入っていた。そういうときは「ちっちっ」と舌打ちをする。そうして課外が終わった。彼は一緒に授業を作れたことをとても喜んでくれた。これが発展すれば理数科教師勉強会をできるような気がした。なぜなら、理科教師は、食品科学・物理・農業・生物・小学校と、専門が異なる人間で構成されているからである。みんなが得意な授業をみせればいいだろう。

軌道に乗る兆しが見えてきた。

村落開発をしているS先輩がいくつか思考法を紹介して下さった。

しかし、まず自発的に出てきた目的意識を共有しないと,きっと困難が生じたらすぐ潰れるだろうということだった。

なぜ実験が必要なのか。なぜ勉強会を開くのか・・。動き出したのはいいが、この学校の目指すものは何か一度しっかり語っておくべきだと思う。実は実験室を新しくするより先に教科書を全員分買うことが先かもしれない。

12/08/09 約束

今日、Grade9 (日本の中学3年)の科学の授業をすることになっていた。単元が変わるということで。しかし、まだ終わっていない、さらにテストもするということで2週間後ということになった。

私は明らかに焦っていた。基本的に実験室にひとりで居ると、どうしても不安になる。自分の居場所を作るのに必死だったが、気が付けば一人だった。

 

自分の目標(案)

考えることを促す授業を作る。そして、それを教師同士で共有する。

そのために実験を授業に取り入れる。必要なら実験室管理をする。させる。

また教師同士の研究会を軌道にのせる。座学も改善できる環境を作る。

 

まだ案である。もっと色々見て気付くことがあるだろう。状況把握のために人ともっと触れるのが良い。実験室に籠っているだけでは見えてこないこともある。

カウンターパート、問題意識を共有する人が必要だと思う。

人間の・・少なくとも自分の心はそんなに強くない。

11/08/09 交流の開始

今日、昨日テストの採点をした。

この答えどうかなと思うものもいくつかあった。指摘して納得してもらったものもあるが、全国共通試験ということもあり大勢に屈したりと色々だった。

初めての同僚との共同作業だった。どのような形であれ、役に立っている実感を得られて嬉しかった。マンパワーに徹した。

終わって夕方5時。ついに社会人サッカー部に顔を出した。来月の州大会に向けて盛り上がっている。真面目に練習している。結構器用である。久しぶりの運動ということもあって体力面で相当苦労した。途中ふくらはぎを攣らせながらもやりきった。とにかく温かく迎えて下さったのが嬉しかった。忙しいだろうから無理しなくてよい、と監督も理解のある方でよかった。

 

南緯2度。自然に対する不満と喜び

雨の降らない日が無い。でもザーっと降ってすぐ止む。

熱い。湿気がすごい。基本的に汗をかいている。静電気の実験がうまくいかない。食べ物がすぐ腐る。

日差しが痛い。影が無いとかなり辛い。

蚊がたくさんいる。刺されたらとても痒い。マラリア(熱帯・三日熱)・デング熱に気を付ける必要あり。

蛙、いかにもジャングルっぽい鳥の鳴き声が夜うるさい。

家はアリさんに支配されている。安全地帯は冷蔵庫のみ。

南十字星が見れる。螢が一年中見れる。サンゴ・お魚と泳げる。

果物がおいしい。

10/08/09 不満と見下す心

自分の心にPNGやその人々を見下していることに気が付いた。とかく何か改善点を探そうとするときに。日本ではこうなのに・・そう感じるたびに心の中で彼らに変化を求めている自分がいた。

PNGの人々・・彼らは自分の道、自分の国が進む道を自分で決定することのできない子どもなのだろうか。それとも魂があって、判断力のある自立した個人であり、国なのだろうか。

「この国は、この学校はこうなればいいのに・・」

そのような発想は溢れ出てくる。しかし、その前にきちんと考えなければならないことがある。

何にとっていいのかと。

そもそも変わらなくてはならないのだろうかと。

日本のような国にすることが、私がここにいる目的ではないはずだ。彼ららしく、豊かに生きることを願おう。それは何もしないことではない。それを積極的に支えよう。しかし、誰かが苦しんでいるとき、それを放っておくことはできない。

しかも彼らは自信が無い。そこにつけ込んでいる自分が居る。自分で注意しないと誰も必死に働く私を止めないだろう。まだ具体的な活動方針の変化はない。

9.8.09

海外に来た理由

私は現在ボランティアとして海外で働いている。2年というそれなりの長さここに住むのだ。その前に私の感じていること考えていることについて書く。

不条理さ・・・みたいなものを生活しながら感じることがある。誰でもあると思う。それがまかり通ったり、それが仕方がないと諦められる現実に出会うと痛みを感じる。もっと全ての人間が生きやすい世界を作ることが出来ないかと、私は考える。それは私は誰にでも成り得るからである。誰にでも難民キャンプで生活する可能性はあるのだ。誰かがいじめられていれば、それは次は自分かもしれないと考えることは自然である。

この状態の打開に向けて生きることが私の喜びになると気付いた。そして、打開策として日本で教師になり道徳教育に精を出すという道を選んだ。道徳というと煙たく聞こえるが、人々の満足を大きくするために心にもつルールである。隣人を愛せよ、という徳目も道徳に成り得る。現在、人によっては法律、世間の目、宗教教義、親の言うことが道徳になっている現状がある。この道徳をどのように作り、どのように人に伝えるのか、そういうことを大学院で学び、実践できるようになりたいと思っている。

こういう道を選んだのは、この方法が遅くとも確実だと私が評価したからである。国際機関に務めたり、政治家になるよりもである。私の教え子がその問題に様々な問題に、道徳的な観点で向き合ってくれたら一番だと。また、私の特性上、この形が私の努力が続くであろうからである。理想に対して私のエネルギーをもって最も成果が出ると思ったからである。人と関わって、その関わった人のために働ける喜びを持ちたいからである。そして、生き方に対して真剣に向き合うことが私の喜びであると気付いたからである。

誰にとっても生きやすい世界が何なのか、それを細かく述べることは私には出来ない。それがどのような前提で定義されるのかも私には分からない。定義されて良いのかも分からない。だから学びたい。言えることは、私が世界の人々のことも、私のいる「世界」そのものも良く知らないことである。だから私はもっと知ろうと思った。日本の報道さえも偏見に満ちていると感じたとき、私は自分で見ることを大事にしようと決めた。旅行もときに良い。しかし住んで、生活して初めて分かることがあると思い。2年間のお客様でない、海外生活を経験することにした。

 

実際、このPNGには絶対的に究極の貧困は無い。富裕層が貧困層の面倒を個人、親戚、tok ples スケールでいちいち見ているからだと思われる。2年間の海外生活で全てを知れると言ったら間違いである。国によって、地域によって、個人間でも様々だろう。見なければならない世界は広い、常にそれにアンテナを広げていたい。

Papitarai お泊まり会

8月9日土曜日、同期ボランティアの働いている Papitarai という村にある高校に行った。彼はスクールバスで、私は自転車で先に街を出た。全ての店は午後1時には閉まってしまうので慌てて kai bar (食堂)でご飯を澄ませた。

街を抜け、山を越えて、マングローブの林と美しいビーチを横に走った。道のり半分を写真を取りながら1時間かけて走った。きっと来てすぐの印象は後で財産になるだろう。1時から2時ということで日差しが痛く手が焼けているいるのが分かった。街は舗装されていたが、ほとんどがむき出しの地面で、たくさん穴があいていた。車もよけるために蛇行して走っていた。道半分10km程度で街を出たスクールバスに追い付かれた。バスと言っても荷台に屋根のついたトラックである。そこに私の乗っている自転車ごと積んでもらった。

Papitarai について学校を少し見学した。校舎もきれい、実験室もきれい。職員室には同期ボランティア歓迎の跡が残っていた。日本の学校より良い環境ではないか、と思うほどだった。彼は学校の敷地内の教員住宅、2戸建てに住んでいた。すぐ目の前が海だ。私はかねてきれいだと聞いていた Manus の海を満喫すべくシュノーケルを付けて泳いだ。きれいな砂浜からすぐにサンゴと沢山の熱帯魚に出会った。魚を見ながら泳ぐこと自体初めての体験であった私はとても驚いた。魚が逃げない。もちろん掴もうとしたら避けられるが。自然と一つになれたような気がして嬉しくなった。

海岸には古い船の残骸がうちあがっていた。今や魚の良い住み家となっていた。同期ボランティアは釣りに精を出していたが、収獲はなかった。カヌーで海へ出ると良いとのアドバイスを受けた。

帰ろうかという時に、朽ちた船の甲板が抜けて落ちてしまい、足を怪我してしまった。ちょっとした切り傷で済んだ。たまにはこういう怪我もしないと、いざ何かあったとき何もできないと強く感じた。何かの実を塗ると良いという話もされたが、校医に包帯をもらった。実際このイベントでPapitarai に校医がいることが初めて分かった。Manus Secondary にはいないらしいが。

気が付けば夕方5時、今日タウンの家に帰ることを諦めた。道は暗い。色んな意味で危険と判断した。夜映画「ガンジー」を見た。3時間の大作だった。国際協力に来ている自分を見つめなおすきっかけになった。それについてはまた書くが、ともあれ午前3時半まで二人で語り合ってしまった。こういう機会が私を変えてくれる。新しい考え方を私にもたらすのだ。強い身体の疲労感と共に並べた椅子の上で熟睡した。

帰りはまたスクールバスに乗せてもらった。本当に感謝である。

金曜日

来週から授業を持つことにした。3週間は様子をみようと言われていたが、早く仕事が欲しかった。grade 9 、日本の中学3年の科学の授業である。

 

来週から新しい単元、電磁気に入るということだったので、そこからお願いした。回路図、オームの法則などやるので、ぜひ生徒に活動してもらおうと思った。実験をやるにも何を目的に、どういったモノにするか考える必要がある。

金曜日、「良い週末を!」という別れの挨拶が心を軽くした。英語一般なのかこの国のことなのか分からないが、相手を気遣う言葉が自然と出てくる。ただの挨拶だと言えばそれまでだが。

同期のボランティアが同じ島の街から離れた村で教師をしている。その彼が街へ出てきた。見たところ彼は元気そうだ。

色々この1週間、お互いに見てきたものを語りあった。彼の環境は私と大きく異なる。買い物もできないし、周りは親切な村人ばかり、とても安全な場所、そして海がきれいで静かと来ている。職場の様子もかなり異なっているようだ。

お仕事

8月6日、今日はほとんどずっと実験室に居た。

今日は生徒の理科の実技試験があったのでその準備の手伝いと監督をした。

生徒は16種類の実験や測定を1つ3分でやらなければならない。

 

しかし、ハプニングは起きた。硫酸銅水溶液に純鉄を入れて観察する

という問題があったのだが、予定と違って全く反応しなかったのだ。

見てみると、使っていた鉄は古くて明らかに酸化していた。

実験室を何とかしようと心に決めて、ひたすら掃除に打ち込んだ。

 

しかし、途方もない作業にすぐ疲れてしまう。自分が居なくなったら

すぐに汚れて、また元に戻るんだ。そう思うと虚しくなる。誰かを巻き

込まないと。

そう思っていると、理科教師のヘッドが、休みなさいと言ってくれた。

人の手が必要ならば生徒を送るとのことだった。早速放課後に実験室に

4人の生徒が来て、せっせと働いた。かなり綺麗になった。

 

私はゴミと要るものを仕分けしていた。古い乾電池の中身を電流計で

確かめていると、生徒がこちらを見ているのに気が付いた。そこで、

生徒にやらせることにした。極が錆びて使えないものは、錆を取ると

使えた。生徒は面白がって極をガリガリと削りだした。そんな姿に

自分の仕事にやりがいを感じた。

 

本心は分からないが、理科が好きだ、実験したい。と言う。

実験

昨夜、一緒に住んでいる先輩のボランティアから

「なぜそんなに実験を教えたいのか?」

と質問を受けた。鋭い質問、というより指摘だった。

同じことを教えるなら、実験をわざわざしないでも良いのではないかと.

準備も後片付けも面倒。研究ではなく、教育現場でなぜ教えるのか。

 

答えに窮した。一般論を語ろうとするとなかなか大事なことが見えない

こともある。実験器具の使い方を覚えるためなのか・・。

しかし、自分の体験を振り返ってみると本質が見えてきた。何が嬉しくて

学生時代勉強していたのか。

 

私は学生のとき火山について研究していた。なぜ火山を選んだのか・・

生きている対象を見て、学んだものを真に理解したかったからである。

生きている火山、噴火の瞬間、噴煙の上がるのを見たときの感動は

忘れられない。

実験も同じだ。高校生の時、アルデヒドによる銀鏡反応を見たときも

感動していたことを思い出す。中学生のときアンモニアを上方置換法で

集めたが、試験管を持つ手のさかむけががたまらなく染みたこと。

初めて腐乱臭を知ったこと。

 

そういう知識を越えた体験・感覚を伴う理解の喜び・・これを子どもらに

伝えたい、そう思った。

しかし、実験室にはガスも水道も通っていたようだが、今は使えなかった。

使ったままの試験管が溜まったまま。名の無い岩石サンプルが

眠っていた。

 

まだ二日目。焦る気持ちを剥き出しにしていることに気付いてしまった。

体の疲労を感じながら、今日一日を過ごした。寝不足だと思う。

 

しかし、熱心な生徒を見ると何かしたくなった。9年生から12年生の生徒

が居る高校だが、10年生の終わりと12年生の終わりに進級試験が存在する。

国の共通試験である。生徒も教師もこれに向けて必死だ。放課後も勉強している。

 

彼らの質問に答えていると気付く・・高校生が分数の計算が出来ないのだ。

学んだことが恐らく定着してない。基礎が無い。

問題は山積みだと感じた。自分は何をすればいいのかもう一度考えたい。

初出勤

月曜日。ついに学校が始まった。

 

朝7時半から朝の集会が始まった。

終わると8時から速やかに授業。40分が1ピリオドで8ピリオド。

4ピリオドと8ピリオドの間に30分の休憩があるが、他の

授業は休憩なし。

そして2時前には授業が終わる。その後昼食、スポーツや掃除の時間。

 

これでは予定を守れるはずがない。

まず朝礼が7時半に始まらない。教師も遅れて教室に来る。

授業時間も超過する。

 

学校は4学期制。全ての学期が10週間ある。

1月から第1学期が始まって現在は3学期の途中。

私の配属された学校は日本のボランティアの受け入れに慣れている。

それは私で5人目だからである。・・決して良いことだとは言えないが。

なので、現地の先生方は私が慣れるまで授業を持たないでおくことを

提案してくれた。

今日は観察に徹した。

先生方は定時の4時にはほとんど居ないが、一生懸命授業をやっている。

生徒も時々集中していないが、誰一人居眠りしていない。

ほとんど教科書を持っていない。消しゴムや定規を貸し合うために投げる。

 

このままでは何も変わらない。現地の教師は忙しいと言う。

だから日本人が頑張って穴を埋める。そしていい思い出ができる。

それも道だが、せっかくだから何か変化を残して帰りたいと思う。

 

私は実験の紹介や授業を受け持つことを自分の仕事として派遣された。

しかし、何が求められているか。それは深くここで関わることで初めて

見える可能性がある。それこそ草の根レベルのボランティアの存在意義

の一つだと思う。

 

なので、とりあえずじっくり眺めて、2年間の目標を決めたい。

 

実験室を見た・・聞くと誰も管理していないということだった。

部活動は運動のみ。サイエンスクラブを作りたい。そうすれば

生徒と教師で定期的に実験器具を利用して・管理できる。

できれば日本文化部も作りたい。たまに日本語で挨拶されるから。

 

夢は広がるが、まずは基礎固め。生徒と先生の名前を覚える。

そして、彼らの要求を聞こうと思う。何が求められてて、何が問題か。

 

気が付けば5時、教師は下宿生の世話係のみになっていた。

街に行くと全ての店が閉まっていた。5時までだった。

中国人経営のショップは、中国語で話しかけると入れてくれた。

彼らは時々嫌われて、暴動を起こされるらしい。仕事を奪うなと。

毎日尋常ではない量の汗をかくから・・シャツを増やすことにした。

 

夕焼けの中、ココナッツの生えた道を歩き、海を眺めると

自分が日本にいないことを再認識した。

5.8.09

畑からみる

今日は学校の敷地を探検して、地図を作った。

 

汗が止まらない・・それでも歩き回った。すると丁度

教室から出ていく生徒を見つけた。

農業の授業だと・・この学校には畑があるらしい。

ついていくと、そこには様々な種類の植物が植えてあった。

市場で見ないものもある・・。茄子を作っているのは

この島でここだけだと農業の教師が誇らしげに言った。

実際、隣の高校の農場に行かなければこの町で卵を手に

入れることはできない。高校が農業の最先端なのである。

 

「畑いいな~」と言ったところ、私のスペースをくれた。

ここは毎日暑いし、日差しも強い。しかも雨も降る。

これだとどんな植物もすぐに育ちそうだ。

今、家の前に先輩ボランティアが管理している畑がある。

そこにMt. Hagenから持ってきたミントを植えている。

ワクワクしてきた。市場に無いトマトとナスを植えよう。

 

こちらの人は基本的にカウカウ(サツマイモ)を主食にしている。

大量のサツマイモを作って、豚の餌にもしている。サツマイモって

実は4種類くらいあるんだな、って初めて気付いた。

カウカウ・・芋焼酎って作ったら面白いかも。そう言う話を

農業の先生に話したらすごく食いついた。

これは、ひょっとして・・マヌス名物、芋焼酎ができたりして・・。

 

寮生はここで栽培したものを食事に使っているそうだ。

ときに売って運営費にしているらしい。よい勉強だと思う。

男子生徒は薪を調達し、晩御飯は女子生徒が作る。

実際女子生徒にのみ家庭科の授業がある。

 

寮生の自由時間が分かれば、部活動的なものも始められる。

日本語から始めるのが無難かと思っている。

授業も早くやりたい。

 

生活のリズムを作ろう。

平日の買い物は昼休みしかない!真面目に働くと時間的に

不自由だ。休日には畑と海に行こう。あと、この街並みを

写真に収めておこう。この全てが目新しいうちに。

 

このブログもきっと続けられるだろう。

志はあったが、結局自分のためのメモみたく利用している。

もっと楽しく読んでもらえる工夫が必要な気もするが、余裕

のあるとき考えよう。

3.8.09

週末

土日は休日である。朝5時頃の鐘の音に目を覚ました。

PNGの多くの人がキリスト教徒であるので

教会にに人が集まっている。

だが、宗派はいくつか存在する。

ミサとなれば日曜日というイメージを持っていたが

土曜日にミサを行うところもある。

教会に集まって祈ったり、歌ったりしている。

ギターを伴奏にして、多声の合唱している。

 

ここの国には sinsin (シンシン) という歌って踊る文化が存在する。

tok ples (トク プレス 各々のワントクのこと)のシンシンがあり、

みんな様々な地域のものを知っている。もちろん、自分のトクプレス

でない歌詞は理解できない。

しかし、この国の人は大体歌が上手なように感じる。

 

村に滞在しているボランティアは、買い物できる場所が無いために

街へ来た。しかし、来るにもバスの運転手が日曜日は休んでいるので

使えない。

 

今日は地区対抗のサッカーの大会に決勝戦があった。

このような企画の存在に驚いた。

同僚の夫が指導しているチームが勝ち残っていたため、見学しに行った。

私は自分の住む地区のチームでもあるので、一緒にプレイ出来ればと

少し張り切っていた。

女性の部、学生の部、一般の部があった。きちんと審判もいる。

女性の部では素足の人、スパイクを履いている人、様々だった。

しかし、それ以外では全員がスパイクを履き、すね当ても付けていた。

当たりの強さに驚いた。自分は無傷で帰って来れるだろうか・・。

結局参加を諦めた。

彼らはこの大会に向けて練習してきたのだから邪魔したくなかったから。

そして、スニーカーの自分は五体満足で帰ってこれないだろうから。

 

結局応援したチームは優勝した。

お祝いの席にお呼ばれした。監督は見学しただけの日本のボランティアに深く感謝した。

自分は軽い気持ちでついて行ったが、完全に立派な来賓扱いだった。

聞くと、ここ Manus でかつてサッカーを教えていた日本のボランティア

が居たということだった。そして、同僚の夫は彼を知っていた。かつて共に

働いたらしい。だから、彼は日本人が大好きだと言った。私ははかつてのボランティアの

偉大さを感じた。

まだ私には多くの人の顔が区別できない・・この国の人々の個性に触れる

ことが目標である、もしも存在するならば。個性の発達する環境がここには

ないのではないか?という話を1年以上ここに居るボランティアから聞いた。果たしてどうだろう。

 

ともあれ、私は日焼けし、すごい速度で皮膚を変えている。時間が許せばこのクラブチームに

所属したいということを監督に伝えた。このチームは練習が厳しく、酒たばこを憎む

ということで私と適合しそうだ。2年後の自分の体がどう変化しているか見ものである。

日本のボランティアの仕事に私が乗っかる形になる。この流れに感謝している。

私も何かを残したいと強く感じた。

明日から頑張るぞ!

Manus 到着

その日の2時頃、飛行機は別の島、Kevieng を経由して無事到着した。

予定より1時間遅れで。

飛行機を降りると、日本の夏を思い出すような蒸し暑い空気。

ちなみに・・一応南半球は今は冬の時期。噴き出す汗。

 

既に居るボランティアのうちの一人が、迎えに来てくれていた。

私の働く学校の職員も、もう一人の同期ボランティアの学校の職員も来た。

私はこの Manus island の唯一のタウン Lorengau に二年間住む。

ここに2人の先輩ボランティアと同居する。

 

任地によって、居住環境は全く異なる。

それはこの国の特徴に由来する。

この国には800もの言語の異なる部族が存在する。

方言レベル・・では済まない。お互いが理解できないというから

よっぽど違うようだ。この部族の仲間を wan tok( ワントク )という。

全ての部族の共通言語、それが崩れた英語ピジン英語である。

私がPNGで研修を受けた現地語がこのピジンである。

今述べた wan tok システムはこの国で根強い。

これが支え合うが故に、この国には浮浪者が居ない。

言語だけでなく、顔、肌の色も異なるから面白い。

 

Manus は、最も小さい州である。しかし、数十の部族があるという。

この国の人の認識では、高地の人は怒りっぽく、海岸・島の人は穏やか。

Manus は美人が多い、海の幸がおいしいことで有名だ。

実際、州都 Lorengau は、小さな街だった。スーパーマーケットが二つ。

写真の現像はこの州では不可能。

しかし、農村部より遥かに多くの人が居る。

買い物ができる、それだけで都会である。

 

タウン、比較的多くの人と出会える場所。

日本人でも生きることは比較的容易。

この地の利を活かして、一歩踏み込んだ活動をしたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出 ポートモレスビー

7月31日9時半現在 PoM の空港の待合室。飛行機の搭乗時間は過ぎたが、まだ飛行機は来ず。

この時間間隔をPNG time と人は言う。

現地人が自らそのように呼んでいる。

時間通りでないことは良くあることらしい。

 

PNGでの一か月、首都のPoMで事務所でのガイダンスを受け、

第2の都市Mt. Hagen現地語学訓練を受けてきた。

PNGは日本の南、大洋州、世界2番目の大きさのニューギニア島の東半分と周りの小さな島を

合わせた領土を持つ。

 

PNGは日本の南、太平洋の島、ニューギニア島の東半分と周りの小さな島を

合わせた領土を持つ。が、実は日本よりも少し広い。

PoMはこの島の南東の海岸に、Mt. Hagen は奥地、高地にある。

高地は空気が涼しい、しかしそこの日差しは痛いほど強い。

現在は一応乾季の時期である、しかしほぼ毎日どこかで雨が降る、でもすぐに止む。

 

そして任地 Manus は・・PoM から800kmほど北にある離れ島。

PNGのボランティアで最も赤道に近い。そこは南緯2度。

PNGの人は皆、口をそろえたようにManusはいい場所だと言う。

 

到着が待ち遠しい。