8.12.09

06/12/09 graduation

日曜日。

金曜日に卒業式が予定通り(?)行われた。朝学校に来てみると綺麗に飾り付けされていた。看板も立っている。

バンドも練習していた。最後の打ち合わせといったところだろう。卒業生は白いワイシャツを着て、黒のスラックス。ネクタイもしめている。女子生徒も多くが白黒を基調にした服を着ていた。grade10はその格好だが、12はその上にガウンを羽織る。司会を任せられている教員はずっと落ち着かない様子だった

学校の式典用の広場、サンシェルと呼ばれる扇型の広場が使われた。客席からステージを見下ろせる。ステージが一番低くなっているが、そこには屋根がある。ここで司会がスタンバっている。そのステージ上に来賓席があり、客席に相い対するようになっている。客席は卒業生が座る。在校生は・・席が無い。保護者も。周りを囲むように立ったり座ったりしていた。

来賓は近所の会社のお偉い方(ロッジ経営者、水道局、銀行など)、ボード(教育委員会)の方、市長、そしてなんと国の大臣まで!マヌスから当選した議員だ。各州に一つずつ大臣の枠があり、選挙で当選すれば議員になると同時に自動的に大臣になる。つまりどの州にも一人必ず大臣がいることになっている。この大臣は来賓で最も早く学校に来た。そして私に話しかけた「あなたの国ではこうではないでしょう」と。自分は彼が来賓、まして大臣とも気付かず、普通に会話していた。名前も聞かないし尋ねない。初めはイライラしていましたが、今は適応しようとしています。と素直に答えた。

学校全体でこの式を盛り上げようと必死だった。私にも仕事が回ってきた。「カメラ係」だ。そう言う訳で、大体ここから撮ろうなどという下調べをしていた。と同時に式直前の卒業生の友達との様子を写真におさめた。

卒業生の入場が、伝統的な打楽器による音楽、それに合わせた踊りとともに行われた。音楽・踊りは在校生の練習の成果があって、普段よりすごくキレのあるように聞こえた。打楽器はガラムッドと呼ばれるもので、木の幹、長い円柱状のものを側面からくり抜いて作ったものだ。5つ程度の大小の異なるもので音楽を作る。楽譜はなく、部族によって違うらしい。原始的と思っていたが実は叩く位置を変えることで固い音、丸い音など音色を作ったりしている。踊りは伝統的な服装・・を模した布で行われた。かつては自然の植物や羽、貝殻などをまとっていたのだろうが、買ってきた布など使っていた。時代の流れだろう。

さて、入場し終えたところで、バンドによる国歌斉唱。バンドボーカルの熱唱とバンドの演奏が響くが、他の人は歌っていない。普段の朝礼の時もそうだが、なんか日本に似ている。そして祈り。キリスト教の国なので。

ここから来賓方・校長の有難い話が怒涛のように続いた。委員会の長、校長、最後に大臣だ。校長の話は卒業生に向けたというより、学校の関心事を述べまくったという具合だった。これが一番辛かった。客席には屋根が無い。強い日差しがあったかと思うと曇り、雨が降った。卒業生には周りから傘が手渡された。私も常時携帯している日本から持ってきた折り畳み傘を渡した。せっかくの晴れ舞台だから、綺麗でいて欲しかった。彼ら全員の写真を撮ろうと必死になった。

そんな中、大臣の話は聞きごたえがあった。彼だけだと思う、目の前の人のために話をしたのは。彼は飾ることなく、真実を話した。現実を捉えた上で、希望を託した。

君らは卒業して、ここで喋るような人間になるのだ。親になり、教師になるのだ。残念ながらこの国は君ら全てを進学させるほどの容量を持っていない。でも、それぞれの場所で次なるステップへ挑んでほしい。卒業は次なるステップへの始まりなのだ。セカンダリースクールを卒業したことを誇りにして欲しい。この国は知識層が乏しいのだ、人材が不足している。だから外国に頼ってばかりだ。今朝、一人の教師と話をした。Mr.T(私の名)だ。彼の国では時間通りに電車がやってきて、人々もそれに遅れまいと必死に走っているのだ。しかし、君ら卒業生、今はこの学校の生徒だが、今日の午後にはそこらの道に座ってるおっさんと何も違わなくなっているのではないか?それが現実なんだろう・・・。

私に人にケチつけるような資格はないが、この大臣に私はとても好感が持てた。自分の考えを持ち、エネルギーを持っているようだった。その後の卒業証書授与も、彼はただ渡すのではなく、声を掛けていた。他の来賓はそのようなことはしなかった。

サンシェルの周りは続々と人が集まり、カメラマンは動きづらくなった。汗をだらだらにかきながら授与の瞬間を一人一人写真に収めた。しかし人だかりがどんどん前に迫り、通路をふさぐ。さらに卒業生は受け取るときに恥ずかしいからか、来賓者の顔も見ずに立ち去る。シャッターチャンスが短い。おめでとうに対するありがとうも無い。まだまだ子どもなんだな。この式典では同時に成績優秀者も表彰された。grade12では1人の生徒が4科目で最優秀だった。それは何とMasobuのチームメイト。あいつ勉強してたんだ・・。他のチームメイトも何人か卒業する。中盤でチームをよく引っ張ったJも。彼は表彰されなかったが、生徒の中でも大人びていて、私は彼の態度、チームの中で果たしてきた責任には敬意を払っている。居なくなるのが寂しい。

結局この会で300枚の写真を撮った。初めてネクタイをして仕事をしたこともあってひどく疲れた。

昼はスタッフと来賓にご飯が振る舞われた。卒業式のあとで会議をすると聞いていたが、校長も疲れた様子で、休まないと・・と言っていた。来年はどうするの?と思っていたら、翌日、土曜にお疲れさん会があるから来るように言われた。

食事会の途中、一人の生徒が私のところに来た。彼は木曜日、卒業式前日にたまたま話しこんだ生徒だ。なんと今度休暇で行こうと考えていたLou島出身の生徒だったのだ。自分の教え子Bにホームステイを打診したが、反応があまり良くなかったのでどうしようか考えていたところだった。話を聞くとBと同じ村出身。断られたわけではないので、もしBとこのまま話が進まなければ・・という条件で木曜日にアレンジをお願いしたいと話したのだ。この生徒Jは直接の教え子ではないため、初めての会話だった。でも日本のことにとても興味があるようで色々話をした。受け答えもしっかりしていて、素直だったので、信頼することにした。金曜日、最後の登校日ということで、Bを探したが会えず、Jはわざわざ私を探してくれた。そう言う訳で彼にお世話になることにした。

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