18.12.09

09/12/09 現地の人々とは?

水曜日。続ける。

土曜日、市長杯はリーグの上位4チームによる決勝トーナメントを今週末に行う予定だったが、土曜は雨で延期。ネットは不調。奇跡が終わりを告げようとしている。無くて当然、そう思いながら手紙を書いた。一人でクラシックギターを弾いた。もっぱらギターは自分一人の時間に使われている。音楽は人を繋ぐものになると言われることはよくあるし、それは事実なのだ。しかし、一人の時間、自分の世界の構築を助けるのもまた事実だと思う。平日の仕事から離れて一人でゆっくりしたいときに私はギターを弾いている。キラキラ汗が輝く海外ボランティア像から私は逸脱している。こちらの国の人は私のようなことはしない。一人で、歌う事もなく黙々とギターを弾くことはないだろう。真夏のクリスマス、バリオスという南米の作曲家の「クリスマスの歌」という曲がピッタリだ。学生時代、雪の舞う日本の東北でこの曲と出会った。日本の南で育った私にとって厳しい冬だったが、それを好きになれそうな温かい曲だった。それが実は夏のクリスマスを迎える場所で書かれたと知って驚いたが、それでも曲に対する愛情は変わらなかった。また、日本から唯一持ってきた楽譜集はバロック音楽の曲集である。PNGの人も音楽が大好きだ。街中でもイヤホンやヘッドホンをしている人がいる。また爆音で夜中にラジオやCDを聞く家もある。伝統的な楽器と言えば打楽器、リズミカルな曲に溢れているPNGの人が静かにバロック音楽を聞いているところを想像できない。それでもPNGでウケそうな曲をわざわざ弾く気にはならない。

手紙やハガキも習慣になってきた。筆まめになった。郵便局員には私の顔とPO.BOXの番号を覚えられている。私がPNGに居る、それだけで何か日本の知人に伝わっている気がする。「海外ボランティアに行っていた人の話」というとなんだか遠いところにあるもの聞こえるが、「友人の日記・手紙」だとかなり身近に感じられると思う。伝えてどうしたいのか、はっきりビジョンがある訳ではない。しかし、知ろうとすることが自分たち先進国に生きる人の義務のように感じられるのだ。知らなかったでは済まされない事態が自分の知り得る場所で起こっている可能性に私は怯えている。

こうやって自分を見ると、全く日本から心が離れていない。日本のこと、帰国後のことをよく考える。きちんと目の前の途上国の人々に向き合ってないのではないか。そうだろうか?向き合うこととは彼らに気に入られることなのか?ギターを弾く、手紙やらブログ書く時間があるなら現地の人と話をした方が良いのでは?とも思う。それらは自分の逃げる場所になっているのではないか。PNGの人に認められなくたってきっと日本で誰かが認めてくれる、そんなことを考えたりもする。自分たちボランティアは存在し何かすることが大事なのであって、仕事の成果は期待されていない・・とも感じる。そう思うと、2年間取り敢えず何とか生きて帰れたらよし、なんて思ってしまう。そんな意識では決して得られないもの、それは現地の方々の目線かもしれない。

現地の方々の目線に立って仕事をする・・というのはどういう意味なのか。

おそらく求められているのは彼らを外からでなく内側から理解すること。その集団の一員とみなされ、その集団の意見を代弁できるような人間になること。それは彼らと同じことすることとか、彼らにイイやつだと言われることとは違う。それらは知るための手段である。しかし、現地の人にとって海外からやってくるボランティアは外から援助してくれる人。感謝され、同時に仕事することを求められる。自分たちとは違うと思われている。周りの家には無いようなフェンスに囲まれた家に住み、パソコンを使う。専門的な知識もある。2年間でいなくなることも知っている。私から見ても本当に内側に入ることは、とても非合理的に見える。この数か月では私から見た悪習はとても受け入れることができなかった。自分の中に湧いてくる発想、何故か自分だけに見えてしまう犠牲者、それらをただ見過ごすことが出来ない。短気なのだろう。目の前の一つのクラスを救うよりも、同僚の考え方を理解することが大事なのか?

土曜日、夜に先生方の懇親会があった。ごちそうが振る舞われた。クリスマスを祝った。プレゼント交換をしたり、一部の酔っ払いは音楽をかけて踊ったり。クリスマスは家族と過ごしましょう!高らかに言う。ここにひとり、どうやっても家族とは過ごせない外国人が居ることは誰も気に留めなかった。誰も会費は取られていない。政府の援助や学費で賄われている。この学校の運営費は、ときにこのような形で使われる。かつて日本で研修を受けた教師と話をした。時刻の正確さとスケジュールの細かさに驚いたという。PNGもそうなれば、もっと一日に色々なことが出来るのに・・と言う。たとえその同僚一人が日本流の生き方を実践しても疲れるだけだろう。私のように工夫しなければ。特殊な一人の人間が社会を変えることはできないだろう。一人の人間がそのような痛みに耐えられると思えない。まわりと同じような平凡な人間が少しずつでも何かを変えていくように仕向けないと。

分からない・・現地の方々とは誰なのか?自分にとって教師ではなく、もっと多数の人だと思っている。生徒。村に住む人々。弱者。そういうわけで今週から村に行く。今自分には見えない、無言で私を待っている人のもとへ。

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