7.3.10

07/03/10 国際協力と教育

日曜日。

まだ地学が時間割りに載らない。もう1学期の半分が終わろうとしているのに・・これでいいはずはないので、自分と生徒が空いている時間に授業を持っている。しかし、予定の内容をカバーするには時間が足りない。

 

毎週隣の村からYさんが街にやってっくる。分科会について話し合うためである。金曜日の夕方やってきて、私のバリエーションのない手料理を食べて、語り合う。夜3時まで話し込む。バスが日曜日は無いので、土曜の昼に帰ってしまうからだ。こんな生活がずっと続いている。私の作った企画書の足りない部分を補ってもらう。先週は全員に企画案の粗いものを作って送った。任地によってはメールを読めない人もいるのでファックスも使わないといけない。全員の意見を調整するのは楽ではない。もう全員が合うのは本番のみだからだ。

そういう訳で、金曜の夜からずっとパソコンに向かって企画書を作っている。今回の分科会は、今まで開催されてきたものと大きく異なるものにしようとしている。それは簡単ではない。

 

私は国際協力をするために派遣されている。PNGの発展を支えるためにである。お偉い方が、教育分野での援助が必要だと考えているから、自分を含めて10人が理数科教師として派遣されている。ボランティア一人一人は大義を考えずに教師をしていればいいのか?それは間違っている。大義、自分の目的を理解せずして成果は出せないからだ。成果とは要するに、目標に近づいたか遠のいたかということである。そして「教師をする」と一言で表しても、やり方は様々なのである。ひたすら生徒の進学実績を良くするために教えることもできる。そうやって働いているボランティアも居ると思う。日本みたいな学校にしようとして働くボランティアも居ると思う。それは、大義・・我々がすべきことと一致しているだろうか。

もっと細かく言えば、一つの授業の目的が決まらなければ、良い授業か否かも決められない。「実験はすべきである」というのは絶対的なものでなく、目指す教育に依存する手段なのである。自分は生徒が「よりよく」生きていけるように必要な力を付けること、彼らが「よりよい」国、世界をつくるのに必要な力をつけることを目標に授業を作っている。彼らが「よりよい」人生ってなんだろうかと彼らなりに葛藤して答えを見つける、でも多分ずっと考え続けなければならない。葛藤の過程には様々な力が必要だ。論理的に考えること、人の言うことをただ鵜呑みにしないこと、歴史から学ぶこと、本から学ぶこと、自然から学ぶこと・・。彼らが答えを見つけたら、それの実現のためにまた力が必要だ。説得すること、諦めないこと、ときには諦めて別の答えを探すこと、助けを借りること、自分で頑張ること・・。彼らが付けるべき力は沢山ある。そうと分かれば授業のやり方も変わる。授業以外にも方法があることも分かる。教師もボランティアも本当に目指したいものについて考えていないと、成果が出せない。この国の発展とは、高層ビルが立ち並ぶことなのか?日本みたいになることなのか?もしそうならそれなりのやり方がある。でも日本には日本の課題があって、真似するべきでないことも沢山ある。私は、PNGの人が、子どもたちが自分で目標を決めて、そこに向かって歩き出してほしい。一緒によりよい世界ってなんだろうって考えたり、その実現に向けて動く仲間になって欲しい。日本だってまだまだ。

実際、私たちボランティアの活動の成果と言うのは、陽の目を見ない上に誰も気にかけない。報告書は厳重に保管されている。働いて、無事に帰ってくれればそれでいいという具合。だれも評価しないから、自分たちできちんと「国際協力」するしかない。

 

ただがむしゃらに授業するのでなく、現場の抱える問題をきちんとみつめて必要なことをやってはどうかというのが今回の分科会のコンセプトだ。例年なら10人集まって、任地の人々を巻き込んで研究授業、日本文化紹介をする。今回は、村落開発しているSさんの使っているPCMという、参加型の問題発見、解決のツールを学び、使ってみようという内容を提案している。

この企画が通るか否か・・。自分の企画書に懸かっている。やってやる!

0 件のコメント:

コメントを投稿