日曜日。
今日、同居していたボランティアSさんが任地を離れた。もう2年間の任期を終えたのだ。
彼は村落開発普及員として、パプアニューギニア、マヌス州政府に配属された。彼の2年間は決して平坦ではなかった。仕事をしても同僚の協力が得られないこともあった。しかし彼は自分の信念を強く持っていた。村に行ってプロジェクトを立ち上げた。しかし、決して企画を与えるのでなく、村人自身の問題意識ややる気を大切にしていた。
いつも彼の食卓にはいい匂いが漂っていた。私に幾つかの料理を教えてくれた。仕事の話で相談にのってもらった。彼の冷静な目線は夢見がちで感覚的な自分の考えに足りないものだった。全てにおいて無精な私だったが、とても可愛がってもらった。苦しいときは、大体彼に頼っていた。
そんなSさんも苦労なさっていたことは話に聞いている。最後まで実感が無いと言っていた。ずっとここにいたから・・。
金曜日の夜は、私と隣の学校のYさんと分科会の調整をしていた。PCMの勉強をするということで、実際に使ってみたのだがなかなかすぐにできるものではなかった。Sさんは真夜中3時まで付き合ってくださった。荷づくりで忙しいにも関わらず。
土曜日は、地元の方が開いてくれたお別れ会に呼ばれた。私もYさんも同席した。仕事で関わった方々も居たが、皆がSさんの仕事を評価しているようだった。自分のお別れ会でもただ祝われるのでなく、自分で料理を持って行った。いつも世話になるなら、世話をし返していた。借りは作らないように努めていた。
日曜日。嵐がやってきた。ずっと雨。風も強い。飛行機は来るのか心配される天気だった。そんな中、彼の知り合いが見送りに来た。彼は幾つものお土産を周りからもらっていた。愛されていた。
「一期一会」そのとき限りだと思えるから、出会いを大事にできる。そう言っていた。また新しい地でまた新しい出会いをする。その一つ一つに全力で当たっている彼の生き方は潔さを感じさせた。
自分とは違う・・。
彼に引き換え、私は過去に引きずられて生きているように見える。
私は過去の人間でなく今を生きている。色んな場所に居る私の大切な人たちはとても大切な思い出の一部である。思い出はとても甘く、美しくて、その世界に浸りたくなる。心の中の日本はとてもきれいで、温かい。
しかし、その人々は同時に今を生きている。彼らを止まった思い出にすることも、今を共に生きる仲間にすることもできる。私は、つい忘れてしまいがちだが、目を閉じるためでなく、目を見開き、世界を味わうためにこうして必死に生きているんだ。だったら、仲間たちと古き良き話をするのでなく、私たちの今見ているもの、今感じているものの話をしていないといけない。仲間たちは私の世界を大きく、豊かにしてくれる。私一人では気付かないことに気付き、見えないことを見て、考えないことを考える。Sさんはそれをもう一度確認して下さった。私はSさんのおかげで多くのものに触れた。
ありがとうございました。
その時を全力で生きる自分が再びSさんの前に現れることができたらいいと思う。
それまでお元気で!
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