22.4.10

11/04/10 挫折

日曜日。

この1週間で気付いたことがある。

日本にいたときに比べて頻繁に頭痛がやってくることだ。特に今週はずっと頭痛に悩まされた。これが標準状態だとでも言いたげに、ずっと改善しなかった。

学校は一学期が終わろうとしている。後半になって、病欠の教師が急増した。30人の教師が居て、最大一日で5人病欠がいた。自分は休んだ教師の埋め合わせを行った。自分が行かないと、誰も行かないからだ。

水曜、木曜には頭痛、熱に襲われたが、それでも授業は休まなかった。はっきり言って意地だった。そして今週から革靴で勤務することを止めて、通学は革靴だが、学校ではスリッパで過ごすことにした。足が蒸れて水虫に罹ってしまったようなのだ。普段はいいのだが、時々猛烈に痒い。オフィスではこっそり靴を脱いでいたが、面倒だった。ちなみに周りは靴を履いているときもあれば素足で歩いている時もあるといった具合である。意地出すところは意地出して、妥協するところは妥協する。

学校も大変だったが、分科会も。残念なことに、中止が決まった。開催予定日を今月末に控えてのことだ。事務所の援助を受けられなかった。学校の先生方は楽しみにしていた。・・大勢は日本のダンスや何か食べることを、一部は興味深い実験を見ることを。

この分科会に関する一連の出来事を振り返って、一瞬何かが萎えていくのを感じた。1月末からやれることはやったと思う。どうにもならなかった。

ではどうするのか、止まってこうやって落ち込んでいるのか。

よく思ったものだ。自分は何か重大な欠陥がもっていて、自分を含めて人を満足させるような仕事ができないようにできているではないかと。そういうときはとにかく誰かに甘えたくなるが、それをすると一時は楽だが、結局さらに苦しくなることを知っている。自分で自分を認めてあげるしかないんだ。どんなに仕事ができなくて救いようがなくたって、それはその人自身の価値を全く落としはしない。そう自分を慰めていたら、人にだって優しくなれる。と言うより、怒ろうという気すら起きない。

まず、小学校に謝りに行った。理解してくれた。自分たちでできることをやりましょう。ということで、自分がこの小学校で、教員向けの理科の講義をすることを提案した。Mrs.Kは日本に行った経験があり、日本をべた褒めし、そして言葉のことなど、私のことも心配してくれた。辛い経験があれば、人にだって優しくなれる。

自分の高校では、職員会議で全員に報告した。この職員会議、私は大嫌いなのだ。いつも予定時間に終わらず、生徒の授業時間が潰れる。会議もトゲトゲしい雰囲気の議論で、血が通っていなくて、出来の悪い人間はクズだと言わんばかりの攻撃をする。「お前が問題を作っているんだ!」なんて指をさして言われたら、誰だって傷つく。本当にそうだとしても言い方なんていくらでもあるだろうに・・。そして自分の番。予定の会議の時間ではもう5分しか残っていなかった。

JICAセッションはキャンセルされました。今、ボランティアは新しい試みに挑んでいます。全員集まってセッションを開くのには大きなお金が掛かります。このお金は日本の税金です。日本の人たちに納得してもらうために、それに見合う成果を出せるものをと努力しました。しかし、事務所の援助を受けることができませんでした。これからも開催に向けて努力を続けていきますが、今後いつ開かれるかは不明です。本当に申し訳ありません。

みんな理解してくれたようだった。誰も私を責めるものは居なかった。むしろその悲愴な顔は同情の念で溢れていた。

校長とは個人的に話した。「前回のセッションは大成功だった。皆楽しんでいたし、アウトカム(効果)も大きかった。」自分も分科会の効果について考えていた。アウトカムという言葉は・・難しいが、セッション前後で教員の仕事に変化がなければ、少し悲観的になるべきだ。

理想は高く。でも出来ることをやろう。もちろん、壮大な計画を立てることは悪いことではない。でも、もし援助が無かったときは無いなりにやるしかない。Sさんの言葉を思い出す。次の学期は小学校でも活動ができる。彼らは私の能力を欲しがっている。高校では、悲しいことに自分が授けられるものが無いように見える。ベテランで、きちんと大学で専攻を学んだ高校教師は、指導力も専門知識も私には申し分無いように思えるのだ。そんな自分の存在の無意味さを感じる状況だったから、分科会という起爆剤を欲した。それは不発だったが、新しい種を蒔いた。

分科会の方は、どうなるか分からない。数人とはメールでやり取りしていたが、十分煮詰まっているとは言い難い。企画の作り方から、変えていかなければならないと思う。挫折した。でもそれはまだ、成功してないと言うだけであってまだ自分たちは道の上にいる。まだ終わっていないんだ。半年後にでもまたチャンスはある。そのときに、これが成功だ、と言えるものが出来ればいい。PNGのボランティアがみな、目標を共有して働けたら、個人プレーのときよりもっとはっきりと、いい影響が出るはず。そのためには、やはりこの分科会を改善していかなくては。今から動き出そう。

辛いことはある。でも人は優しくなるために生きているのかもしれない。沢山辛い経験をして、優しさを人に与えよう。PNGに来て、いろいろあった。全て日本に帰ってから、配るためだ。世界中の人に配れるくらいの優しさをここで培って帰れたらいいのに。まだ1年以上ありますが。

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