22.4.10

20/04/10 お偉いさん

火曜日。

一学期が終わって一週間の休み。全四学期のうちの一つ。

先週は色々あった。

国の教育のトップたちが、マヌス島にやってきた。教育省の大臣やら何やら。毎年何処かに行って、会議を開くことになっていて今年はここと言ううことだ。

先週の月曜日。我が学校の生徒たちに限らず州都ロレンガウの生徒は熱烈な歓迎をするはずが、大臣は飛行機の遅延のために遅れてきたために、翌日された。授業は無くなった。自分はこの企画にかなり否定的だった。何故マヌスに来るのか、理解できないからだ。その接待や航空券に消えるお金を考えても意味があるのか。教師も生徒も接待の準備、予定の変更に踊らされている。何故接待するのか?お偉いさんは会議を開き、我々は勉強する、それでいいじゃないか。教師にそう言う話をすると、教育に関心のある人はその場に居なければならないという。「教師はそこで何か意見を言うの?」「NO、眺めるだけ。そこに居て、私は聞きました、話したことを証明できる、証人になるために行くんだ。」・・・・・・絶句した。何十人、何百人もの証人が必要なのか?ただでさえ会場のマーケットには沢山人がいるのに。要するに、誰も、何も変えようと思わないんだ。「残って仕事しても大丈夫かな?」私は尋ねた。同僚は「事務所(JICA)の人が起こるんじゃないの?」と心配したが、それは杞憂。誰も私の一挙手に注目していない。「でも、君は大使なんだからね。マヌスの中で日本を代表しているからね、教育のことに関心がありますよ、って皆が君を会場で見れば納得すると思うよ。」この発想は自分には無かった。確かに、日本を背負っていると考えることは多々ある。稀だが、道でガキに中国人に間違われてからかわれたら、はっきり諭してやるようにしている。君らを助けるためにきた日本のボランティアだと。日本代表として、翌日会場に行くことにした。

 

翌日。火曜日。ロレンガウの広場と言えば、マーケット。ここで生徒は行進をしたり、伝統的な踊りを披露した。お偉いさんのために。今まで練習風景をちらと眺めていたが、本気の踊りはすごかった。各地の踊り、シンシン。マヌスのシンシンは激しくて性的アピールが強いと、PNGの各地を紹介する冊子に書いてあったが、自分には良く分からなかった。でも、今年、生徒が踊ったのはバルアン島という自分のかつてステイしたロウ島のお隣の島のものだ。バルアン、ロウ、パームというご近所3島のバロパ地区の生徒が我が学校を代表して踊っていた。何が言いたいかと言うと、知っている生徒が多くて、彼らがとてもかっこよく、美しく見えたということだ。

お偉い方はその後マーケットで演説を行った。去年の卒業式で知ったマヌスの大臣さんもそこで、歓迎のために演説を行った。少し彼に期待していた。「みんな教育に関心がある。このマーケットで働いているお母さんは、子どもの学費を稼いでいるんだ。でも、様々な問題を抱えている。それを何とかしてもらいたくて、マヌスは会議を誘致したんだ。」と。彼はブアイを教育大臣に渡し、それで、人々のと関わってくれ言った。人々の声・・自分は聞けているだろうか。大臣と数名のお偉いさんの話を聞いて、その場を去った。彼らの仕事が市場にあるなら、私の仕事は学校にある。山ほど。どんなに彼らの地位が高くても、子どもの学ぶ機会を数日に渡って奪っていいのか?そういう考えを誰かに持って欲しかった。

 

水曜日。授業は無かった。朝、全生徒に一学期終了が告げられた。昼には接待のための生徒を除いて、寮も空っぽになった。翌日木曜日にお偉いさんが学校に夕食会に来るということで、教員は準備を行った。自分は自分の仕事、次タームの計画を作っていた。帰り際、校長に日本の料理を作って持ってきてくれと頼まれた。・・まずいな。

 

木曜日、朝からその準備は始まった。豚一匹をムームーに。葉っぱに包んで、熱した石とともに地面に埋めるというPNG伝統料理。豚は葉っぱの水分によって蒸し焼きにされる。・・という訳で、朝そこに行くと、生徒が豚の皮を果物ナイフ剥いでいた。お湯をかけて、剥ぎやすくしながら。自分もやらせてもらった。自分のヒゲでも剃るかのように。豚は死んでいるようだが、聞くと、斧でおでこを殴って殺したらしい。すさまじい。全身の毛と皮を剥いだら、次は内臓を取りだす。初めて豚の解体を見た。生き物の体には隙間が沢山あることを知った。内臓もスープにするため、中身をきれいにした。一瞬気が遠くなったが、何とか立っていられた。このとき、尽力した農業の先生と助手の私2人は、運悪くそのスープを食べ損ねたが・・。そして、自分は夕方、に備えて下味を漬けておいた鳥を揚げた。唐揚げを作ることにしたのだ。Sさんは去る前にこの技を伝授してくれた。片栗粉も、調理酒も庭の畑の生姜も、彼が残したもの。それを持って夕食会へ。バロパの生徒はその露出度の高い服装で、お偉いさんが来るのを待っていた。教員も待っていた。州政府からのお客さんも。自分の家のお隣さんは州政府で教員の給料を管理しているおばさんなので、お客さんとして来ていた。ロウの子から写真撮ってとせがまれていたのを思い出して、カメラを持ってきた。美しい彼らの存在の証明を、今私がするべきだと思って、沢山写真を撮った。

そしてお偉いさんはやってきた。彼らは食って、話して、踊りを見た。本当に生徒は長い間踊っていた。その激しいステップ。ダイエット法になっていいくらいだが、長時間踊れるものではない。途中、休憩が与えられた。私はお偉いさんに、ボランティアとして日本から来ていることに感謝された。来日の経験がある人から日本の話などをされた。・・なぜ、学校の話をしないんだ!何のためここに居るのか、考えて欲しかった。私は、「ここで少しでも教育の発展に寄与するために最善を尽くしています」と述べた。そして、待機している生徒の方へ。大人たちは彼らのことを忘れている。「晩御飯は?」彼らには御馳走は振る舞われることは無かった。学校で生徒は当たり前のようにパシリにされている。その時も。普段教えていない生徒もそこにいた。「本当にかっこよくて、美しい踊りだね、今度教えてよ。」少し、その場で教えてくれた。意外に単純ですぐ覚えられそうだった。日本の話を聞いてきた。日本の人は時々、ものごとを真剣に考えることがある。だから自殺する人も沢山いる。もし、私が君なら、この無視されてるこの状況に怒ってるね。この待機の間も生徒は本当に呑気に時間を過ごしている。その時、遠くから声が。踊りの出番が来た。お偉いさんの見送りだ。

去年は特にシンシンを学びたいという気持ちは起こらなかった。頻繁に過去に居たボランティアは踊ったんだからと勧められたが、自分には自分の仕事があって、それを優先したかったから断った。彼らを知るためにと言うが、別に一緒に踊らなくたって、触れあうことはいくらでもできる。授業を、生徒を大事にしてれば。生徒と友達になる必要はない。生徒と教師としていい関係が作れたらそれが一番なはず。でも、急に踊りたくなった。別に生徒と触れあうためとか、そう言う思惑は無く、その踊りを踊れるようになりたいと思った。

勝手な大人たちの接待に駆りだされた生徒たち。別に彼らが天使だと言っている訳ではない。生意気なことはある。でも、彼らは子ども。大人が何か言えば、それに巻き込まれない訳にはいかない。

自分は何をすべきだったんだろう。

から揚げは喜ばれた。家庭科を教えている教師からレシピを頼まれた。

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