4.4.10

01/04/10 イースターと哲学

木曜日。

今日は学校が早く切り上げられた。自分の授業はつぶれなかったが、同僚の一人がテストをやるつもりだったらしくすごく悔しがっていた。

分科会のことを小学校に打診するととても喜んでくれた。専門の科目ではないから、理科や数学に不安があるという。そのため小学校教員に向けての理数科知識や実験の紹介を行う計画でいる。

さて、学校が早く切りあがったのはイースターというキリスト教の中で重要な行事のためである。これのために金曜日と翌週の月曜日が祝日になっている。キリストの復活を祝うのだ。お隣さんに誘われて教会に。教会には夜たくさんの人が居て(多分500人くらい)外に溢れて窓から覗いている人も沢山いた。自分も外から覗いた。ずっとは多分聞いていられないだろうと思ったからである。日本でも、旅行先の韓国でも、PNGでも何度か教会に行く機会があったが、すごく疲労してしまう。緊張するからだし、あれこれ考えてしまうからだろう。

自分はキリスト教徒ではない。よく聞かれるが神道、仏教を信仰しているわけでもない。こちらの人にはヒンドゥーかとも聞かれるがそんなこともない。もちろん、何がしの宗教を背景に持った文化の中で育ったのは間違いないし、価値観のどこかにその影響を否定することはできない。「スタップ タソル(居残り)」という人がPNGの中で自分と近い。教会に行く人はまじめで、ちょっとアウトローは居残りで教会に行かないというのが通念になっている。自分の考えは宗教とは別に存在している。世界に対する解釈を自分なりに持っている。自分なりの思索で。

私は神を否定する気は全くない。自分の考えでは、自分が感覚で知覚できなかったり、科学観測できなかったりするものは存在しないと思っている人も、存在するに違いないと思っている人も同様に自分とは違う。「あるかもしれない、無いかもしれない」というのが自分のスタンスだ。今まで人間が復活するところを見たことはないが、もしかしたら一度くらいあるのかもしれない。死んだあとは「無」だと思っている人もいるが、実はものすごく快適な状態に移行するかもしれない。自分の死後、自分の意識がどうなってしまうかを経験した人は現在生きていないので分からないのだ。意識の正体だって良く分からない。宗教に対して強い抵抗を持つ人が多い日本だが、そういう人たちも同じくらい「信仰の否定」に固執しているようにみえるのだ。分からないということを自覚している。でも、こういう可能性もある・・って考えることは面白い。宗教のそういう世界観は豊かだと思う。

想像を超えるが、この意識の喪失、「無」かもしれない。でも、もしかしたら死と同時に目を覚まして「どうだった?俺の作った世界、結構面白かったでしょ?感動的だよね~。」なんて、変なおじさんに言われるかもしれない。感覚を失って、ずっと暗闇の中で意識だけが漂っているかもしれない。実は死んでしまった人たちが自分の全ての行動に注目しているかもしれない。死んだらいっぱいダメだしされてしまう。肉体を失ってもなお、肉体を持っているつもりでいるかもしれない。地雷で足を失った人が、失った部分の痛みを感じることがあるという話を聞いたことがある。

死ぬときに後悔しないことが目標。

今生きている世界との関係の断絶がある可能性はある。その世界には他者がいて、食べ物があって、自分の体もあって、ある程度自由に動けて、痛みもあるが、美しいものもある。こういう理解は言葉によって行われるが、言葉には表現されないような、何か大切なものだってあるかもしれない。とにかく様々なもので溢れているこの世界に生きる機会を得たから、それを大切にしたい。こう前向きに世界を捉えられるのは、よっぽど恵まれた環境に居たからからかもしれない。毎日空腹で、誰かに殴られて、明日の我が身も分からない人の見る世界は恐らく違う世界を知っている。世界は幸せで溢れてるなんて言ってもきっと理解されない。

生きるのに値する世界か、決めるのは自分。「価値」って価値観を持つ主体、価値を欲する人にによって与えられるものだから。だから、真に客観的な価値なんてそもそも存在しない。人は価値ある人生を求める。価値はあるものでなく、作るしかない。人は満足しようと必死なんだ。その欲求を認めたとして、自分をどういう世界に身を置き、その世界とどのように関わるかは自分で決められると思っている人もいるし、決められないと思っている人もいる。私は幸運にも生きるのに値する世界に近づけるために、自分が出来ることがあると思えている。

私は誰かに後ろめたさを感じることなく本気で笑っていたい。

そんな世界にしたい。誰かは近所に居るかもしれないし、地球の裏に居るかもしれない。

まだ未完の哲学だ。現実世界は自分にいろんな新しい問題をふっかけてくるからだ。まだ途中。でも・・ミサは疲れた。いつも、行ったらもう最後かな~と思う自分がいる。頂いた長い週末をのんびり過ごそうと思う。

エイプリルフールですが、相変わらずまじめでした。

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