5.1.10

12/12/09 火山とLouの人々

土曜日早朝三時・・目が覚めた。鶏が鳴く。early bird。早い・・早すぎる。辛かった。何度も寝起きを繰り返した。6時に明るくなり始め、起床。Kは眠っていたが父親はもう居なかった。少し散歩した。崩れた崖、見える火山噴出物の地層を見た。この島は黒曜石の産地として有名なのだ。ここの黒曜石が南太平洋の離れた島々の古い文明の痕跡からみつかるそうだ。黒曜石、それは天然のガラス。かつてその鋭利さから槍の頭や矢尻として使われていたらしい。かつては武器商人とでもいったところだろうか。

歩いているとあちこちに落ちているのを目にする。しかし、その崖が見せる降下軽石堆積物に黒曜石は入っていなかった。火山噴火とザックリ言ってもその様子は様々。ある時は噴煙をあげ、高温のガスと塵と共に大量の軽石を大空にまき散らす。小さな灰は漂い続け、比較的重たい軽石が先に地面に落ちる。地層の中で同じ重さの粒子が仲良く一緒に居る。地層をみるとこういう物語が編める。これらが空から降ってきたというのが分かるのだ。これが淘汰だ。そして黒曜石は噴火すれば必ず出る、というものではないということが分かった。ある特定の噴火で大量に噴出したのだろう。

散歩を終えてKの家に戻るとKは起きていた。朝、Kとその友人二人とともにSolang村へ出発した。自分が首都で買った地形図にもはっきり道があった上、村人も「ハイウェイ」があるから問題ないというので安心しきっていた。彼らは私の荷物を手伝ってくれた。ハイウェイ・・舗装はもちろんされてない。しかしかつて車が通ったのではないか、という轍のあとのようなものが見えた。Reiの中では。話によるとかつて車が走ったらしいが、現在この島にはもう車を持つものはなく、道は何十年も前に歩行者専用になったようだ。村からでるとけもの道だった。しかし、畑がところどころ広がっている。実はこの島ほとんど開拓され畑になっているのでは、というくらいだ。畑、自給自足。と思いきや、カカオを栽培している。この島、火山の恩恵らしいが、土壌がかなり良いらしくManus本島では育たない様々な作物が立派に育つらしい。カカオは栽培して業者に売るらしい。本島の土は貧弱赤い粘土だと人は言うがLouは特別らしい。SさんもLouの農作物は本島より立派だと言っていた。

しかし30分あるくとジャングルになった。そして一時間歩いてSolangに到着。最初に聞こえたのは教会からという発電機、モーターの動く音だった。今日、土曜は礼拝の日なのだ。SDAというキリスト教の一派の特徴だ。LouはSDAの島なのだ。そう言う訳で、村人の多くが礼拝に行き、ほとんど人が居ない。若い男らだけが残っていた。不良グループといったところか・・そういう話を聞くなかでJに出会った。彼は礼拝に行ってなかった。驚いていた。

Kは少し休んですぐReiに帰った。雨が降りそうだからと。非常にタフな奴らだ。感謝感謝だ。さて、Jはボートが無かったために私をタウンまで迎えに来れなかったことを詫びた。私は良い経験が出来たと少しも気にしなかった。

この日の午後は、散歩という名目で地面で水が沸騰しているという沼へ連れて行ってくれた。土曜は信仰の日で、働くこと、魚を釣ること、畑で芋を掘ること、料理することが禁止されているのだ。Jの友達八人前後と向かった。途中、Wild fowlと呼ばれている鳥の産卵場所に連れて行ってくれた。30分くらい歩いた。地面が穴だらけだ。それにココやしの葉が人為的に柵がしてある。穴を人々が所有しているのだ。そこにわざわざその鳥は産卵する。ただ産卵しない。親鳥は1メートル近く掘って産み、また埋めるのだ。親鳥は温めない。なんと地熱でふ化させるのだ!なんという怠け癖。そういうわけで卵が地中に放置されるのだ。火山ならでは。それを人々が掘り返すというわけだが、今日は土曜。残念だが、説明だけ。

その後沼へ。ボコボコ音を立てて沸騰したお湯がガスとともに噴き出している。地面は酸のために変質し、赤色白色の粘土に覆われている。その部分には植物が育たない。沼の水と混ざるところには酸や高温に耐性のある生物が繁茂する。コケのようについている。男の子たちも危険であることを知り、列を作ってあるいていた。地面が抜けたら最後、100度近いお湯に足を突っ込むことになる。・・彼らは素足だが。

帰り道、昼食を食べていない私を心配して道(と言ってもジャングルの中だが)になっている果物を取ってくれた。みかんと大きなピンクグレープフルーツ。みなで美味しく頂いたが、本当は禁止されているのだ。土曜だから生ってる果物も採ることができない。SDA・・たばこ、酒、ブアイがだめ。不自由に聞こえる。仏教と神道が混在しているという話をした。寺と神社があり、多くの人がどちらにも通うことはしないと。・・日本は10年くらい前に週休二日になったがそれまで土曜は働く日だった。PNGは?と聞くとずっと週休二日制だったそうだ。理由は簡単、ある人(SDA)は土曜、ある人(その他、主にカトリック)は日曜に教会に行くからと。教会。SolangでもReiでも一番立派な建物は教会だった。ブアイやたばこを悪しきものと思っているのは私も同じだ。しかしそれは、宗教によって語られないとやめられないのか。学校教育もこの国はキリスト教道徳に依っている。

帰ってから学校を見た。学校は休暇。私は自分が学校で働くかぎり、他校の生きた姿を見ることが出来ないのだ。そこに小さな人だかりが出来た。私が珍しいのだ。そこにその学校の教師も生徒もいた。色々聞いてみた。エレメンタリースクールではGrade1,2が学ぶ。それは植物を編んで作った家で、中に机が無い。プライマリースクールはGrade3から8までが学ぶ現在4・5・7・8が学んでいるらしい。Grade3と7は、今年は無いらしい。つまり3年に一回、生徒は入学できないのだ。教室が足りないかららしい。なぜ自分の学校で年齢と学年が一致しないのか、謎が解けた。不運な子どもは一年待たなければならないのだ。一つの教室で2つの学年が授業するようだ。教師には年配の人もいるようだし、かつて私の勤めるセカンダリースクール(高校)を3年前卒業し、教員養成校で学び、今年から新人として働いている教師もいた。彼は別のかつていた日本人ボランティアの教師を知っていた。全科目教えるのは大変だ。この国、小学校の教師は高校教師に比べて格下というイメージが蔓延している。資格の面でもそういう扱いを受けている。残念なことだ。とにかくこの村の教育に関して問題があることは間違いないのだ。教師の人数なのか、教室の数なのか・・州政府の方針なのか、国の政策なのか・・原因は分からない。

その後浜辺のハンモックでゆっくりした。歩きまわったのと寝不足のため眠ることに努めたが、常に話しかけられるためそれは阻まれた。日本のこと、私のこと。日本の森は同じか?言葉は?都市は?自分自身日本人でありながら無知であることに気付く。砂浜には木が生えている。波が木の根を削り半分浮いていたりする。波打ち際にココやしの木の根の跡だけが残っている。かつて、10年前は浜は10メートル先にあったらしい。今ハンモックでくつろいでいるところは小さな森だったらしい。海が迫ってきている。波とはそういうものだ、浸食するものなのだ、それをどこかに堆積させる。日本の砂浜も同じ危機に面しているのかもしれない。しかし、こんなに強いのか?私は現在詳しいことが分からない。私の頭の中で気候変動という言葉が頭をかすめた。早急ではあるが、まず影響が及ぶのはこういうところなのだろう。工業に代表される人為的な活動が原因だと認められつつある環境変動の影響が、それと全く無縁の生活をしている村の浜辺を直撃するのは、非常に不条理なことだと私は考える。村人、特に高校に行くような人は環境変動という言葉を知っている。しかし、彼らがどうするべきか知らないし、知ってもどうすることもできないと思っている。もしこの島の人が環境変動に加担した人々を訴えることが出来るのならば、そのような裁判所が存在するならば、賠償を要求できる場所が存在するならば、と思ったが、現在夢物語である。この砂浜でぼーっとする、ゆっくり暮らすこと。それは一つの幸福の形だと思う。しかし、それは外から脅かされうる、とても繊細でもろく、何の保障もされていないものなのだ。この暮らしを守りたければ、自衛するための力が必要だ。外の世界は思っているほど親切でないのだ。自ら守るしかない。別に国のためでなくてもいい、男の子たちが、この砂浜を守るために勉強してくれたらいいと思う。ペンは剣よりも強し。

夕方Jの家へ。両親は他州で働いていて居ない。そのためおばさんと同居している。しかし、実際祖父母の家に多くお世話になっている。祖父母は5人の子供を持ち、そのうち3人が出稼ぎに出ている。残りの2人がSolangに残っている。残った二人、両方とも耳が聞こえない。この村、たぶん200人もいないと思うが、6人は聴覚障害者がいる。タウンに比べて明らかに遭遇率が高い。タウンには障害者の居場所は無いのだろうか。

晩御飯は茹でたカウカウ(サツマイモ)、タピオク(キャッサバ)、さらにタピオクのケーキ、マリタという植物の種からとれるクリームを混ぜたもので、真っ赤だった。

 

2週間近く雨がなく、水不足らしい。

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