10.1.10

13/12/09 LRTの準備

日曜日。Lou Island Ragby Touch (LRT) なる大きなイベントが控えていた。PNGはオーストラリア領だった歴史もあり、ラグビーが盛んである。オーストラリアのプロリーグの中継もやっている。もちろん、この村にはテレビは無いが。Touchとはタックルの代わりにタッチで済ませるラグビーで、ケガをせずに済む。そして何故かこの辺境の地で、ラグビーの大きな大会が催されるのだ。それはわざわざ首都や他州の都市からチームが集まるというのだから、驚きである。この村Solangからもチームを出す。ここにはこの島唯一のラグビー場がある。つまり、Solangが会場になる。男らは朝5時に起きて練習開始。自分は何度も鶏に起こされながら6時半まで眠った。

朝起きて洗濯させてもらった。街では水浴びは一日2回する習慣が付いていたが、水が少ない今、そんな贅沢は言えない。朝は歯磨きだけ。PNGの人が歯磨きするのを見たことがない。その代り彼らは、ブアイの実の皮や、木の枝、はたまた一度は包丁で歯をきれいに磨いたり、削ったりしている。ブアイは噛んだ瞬間は歯がシャキッとして歯磨きの後みたいな感じになる、たった2回やっただけだが、一応分かる。でも、こっちの人の歯は真っ赤になっていたり、ボロボロだったりする。Jのおじいさんは歯がほとんど無い。

口内炎ができた。臀部にはれものも。靴ずれも。しかし、一番困ったことはサンドフライと呼ばれる1mm程度の小さなハエ。こいつが噛む、吸血するととても痒い。たまらない。足首と腕が集中的に、肢体に40か所以上。寒いより暑いほうがいい。きちんと水を飲んで、影に逃げれば死ぬことはない。そう思っていた。しかし、こういう虫たちのせいで肌がぼろぼろになり、汗もかき、膿みやすい。病人みたくなってしまう。暑いのも困りものなのだということを理解した。しかし、タウンでは被害が無かったのはなぜだろう。とにかくJに見せると赤ちゃんの肌だと言われた。練習後朝ごはんを食べた。

Jの祖父母の家は海から100m位離れた少し高台にある。おじいちゃんはサンドフライが大嫌いで、こいつから逃れるために砂浜に行く。砂浜は北西に向いており、この季節は強い西風が海から村に吹く。この風をおじいちゃんは受けて、ハエから解放されるのだ。

日曜日は普通に働ける。Solang村は砂浜とジャングルに囲まれている。そのジャングルは10m以上もあるココやしに覆われている。その中で男らは木を切っていた。LRTのオフィシャル用の建物を作るための木材を切りだしていた。2台のチェーンソーがけたたましい。20人弱の男が居たが座っているだけの者も居た。耳の聞こえないJの叔父、Tは周りに指示を出していた。Tともう一人の伯父であるDはこの島で初めてチェーンソー使いになった人間らしい。もう一人耳の聞こえない男性が居たが、彼も上手にチェーンソーを使い、指示を出していた。他の男らは交代しつつ木を切る。中には慣れない手付きの男の子も結構いて、指導を受けていた。「まっすぐ、傾けるな!」 Tはジェスチャーで右だ左だと示す。座っている男らは騒音の中でジェスチャー混じりで喋っている。陰口が大好きだ。まさに汗だくになりながら、真剣に木を切っている男の子が上手にできなかったりすると「アイツはダメだ、マリファナの吸いすぎだ。」と後ろで話している。くるくるパーと頭がおかしい、とでも言うように。ときにそれは悪口の応酬、口喧嘩になる。なんだかな~。自分も何か手伝いたかったが、周りも必死に私に怪我させないようにしてくれる。とりあえず、チェーンソーは難しそうだ。観察していると、Jは自分にできる仕事をやっていた。木を測って印をつけたり、切り口に溜まる木屑を掃いたり。座ってだべっている人たちより賢そうだった。少し嬉しくなった。そして私もそれを手伝った。チェーンソーが線を見失わないように掃いて助ける。邪魔しないように。なんか餅つきを2人でやるときの感じだ。チェーンソーの動きも近くで見れる、こうやって観察して、Jも木が切れるようになるのだろうか。途中で見ていた人が代わってくれた。私は休憩。周りの座ってる男の中には小学生低学年のような子どももいる。ただ見にきている。彼に私のノートをちぎって折り鶴を作って見せた。すごく驚いていた。プレゼントすると、彼は鶴のしっぽをつまんでジャングルを歩きまわった。鶴がジャングルを飛んでいる・・とても新鮮な風景だった。鶴は少年とともにTのところまで飛んだ。Tはその少年が見せる鶴を首をかしげながらみつめた。少年は私を指さす。「鳥だよ」と両手を広げて羽ばたかせてTに示した。彼は理解したが、不思議そうに折り鶴のしっぽをつまんで眺めていた。熱帯林のなかで。

その後、男らは午後のトレーニングをした。私はその横で少年らとサッカーをした。日本で教わった技をみせたらサッカースターと言われてしまった。楽しかった。そして、暗くなり、水浴びをした。エイドポスト(薬剤庫)にあるタンクの水を使った。共用タンクになっていた。ここにかつて日本人のドクターが居たらしい。長居したというよりは何度も来ては帰ったということだが、何かの調査だったらしい。しかし、医者として人を助け、さらに彼は村のみんなの名前を覚えていたらしい。やはり、名前を覚えるというのは大切なことだ。

こちらの島のトクプレス、英語が来る以前からある言語、は当然よく使われる。私は共通語ピジン英語を使っているが、ここは村。そういう訳でいくつかのトクプレスのフレーズを教わった。

トクプレス = 日本語 =ピジン語

ウロ=ありがとう =テンキュ

ピヤン=いいね!=グッペラ

ウロ エ コン ファンゲ=私の食事に感謝します

=テンキュ ロン カイカイ ビロング ミー

パリベン=おはよう=モニン

プウェップ=こんにちは=アピヌン

キャリベン=こんばんは=グッナイ

チョンギシム=おなかいっぱいです。=ミー プル アップ

ティーベン ウォンガビエーン ジム =明日ジム(産卵場所)に行きます

=トゥモラ バイ ミー ゴー ロン ジム

ワ メ=来なさい=ユー カム

カタカナだが、RとLは使い分けているし、-nと-ngも使い分けている。祖父母の家は基本これで会話しているので、聞き取れない。最初にウロ エ コン タピオク というフレーズを男の子らに言わされたが、J曰くこれには卑猥な意味があるらしい。私がこれを言うと老若男女が喜ぶ。

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