10.1.11

24/08/10 終戦記念日とコトー

火曜日。停電が明け、水道も動き出した日。

もうかなり前に感じられるが8月15日のことを書く。この日は日本では、第二次世界大戦の終戦記念日。パプアニューギニアもこの戦争を体験している。日本はとても強い関係を持っている。こっちの人はみんな知っている。

ずいぶん前にインターネットで調べたところ、マヌス島を主とするアドミラルティ諸島は、アメリカと日本の軍隊の戦場となった。3000人以上の日本の兵隊が上陸し、そのほとんどが、この地で亡くなったらしい。そのことため、マヌスには石碑が建てられている。一つは日本が建てたもの。もうひとつはアメリカが建てたもの。その二つはモモティ、街から40分程度車で行ったところにある空港の近くにある。

日本人ボランティア4人で訪れ、石碑をきれいに磨いた。そして黙祷した。この島に来た日本人はほとんどが兵隊さん、そしてわずかなボランティアや研究者。兵隊さんのことを思う・・彼らは自分と同じような若さだったのではないかと思う。それは覚悟に覚悟を重ねたに違いない。私のように帰国後のことを心配するような余裕はなかっただろう。

そのあとは、モモティの素晴らしく美しい海で泳いだ。サンゴは生き、熱帯魚は人に怯えることない。海は・・水色。硫酸銅水溶液のような色(残念な響きですが、とてもきれい)もあれば、澄んだ色もある。ニモのお父さんのようなのも居た。

帰りに、Yさんの本拠地パピタライに寄って彼をおろした。そして、彼のすぐ近くに住む校長に子猫をもらえるか相談した。ずっと飼えたらいいのにと思っていた、以前の同居人Sさんの猫がパピタライで亡くなって以来、考えていた。現在の同居人と相談して、飼うことに決めた。生後2カ月の小さい猫。親は死んでしまったらしい。パピタライで飼われている猫は、犬によく攻撃される。Yさんがかわいがっている猫も殺された。その子どもである。

子猫、白と黒のまだら。シロでもなくクロでもない。名前は・・・と移動中に話していた。「オスだから男、オトコ・・コトーってのは?」というシンプルな案が出た。そうだな~マヌスは孤島だし、なんか呼びやすいし、いい名前だと思い決まった。コトーが住人としてうちに来た。

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