9.8.09

実験

昨夜、一緒に住んでいる先輩のボランティアから

「なぜそんなに実験を教えたいのか?」

と質問を受けた。鋭い質問、というより指摘だった。

同じことを教えるなら、実験をわざわざしないでも良いのではないかと.

準備も後片付けも面倒。研究ではなく、教育現場でなぜ教えるのか。

 

答えに窮した。一般論を語ろうとするとなかなか大事なことが見えない

こともある。実験器具の使い方を覚えるためなのか・・。

しかし、自分の体験を振り返ってみると本質が見えてきた。何が嬉しくて

学生時代勉強していたのか。

 

私は学生のとき火山について研究していた。なぜ火山を選んだのか・・

生きている対象を見て、学んだものを真に理解したかったからである。

生きている火山、噴火の瞬間、噴煙の上がるのを見たときの感動は

忘れられない。

実験も同じだ。高校生の時、アルデヒドによる銀鏡反応を見たときも

感動していたことを思い出す。中学生のときアンモニアを上方置換法で

集めたが、試験管を持つ手のさかむけががたまらなく染みたこと。

初めて腐乱臭を知ったこと。

 

そういう知識を越えた体験・感覚を伴う理解の喜び・・これを子どもらに

伝えたい、そう思った。

しかし、実験室にはガスも水道も通っていたようだが、今は使えなかった。

使ったままの試験管が溜まったまま。名の無い岩石サンプルが

眠っていた。

 

まだ二日目。焦る気持ちを剥き出しにしていることに気付いてしまった。

体の疲労を感じながら、今日一日を過ごした。寝不足だと思う。

 

しかし、熱心な生徒を見ると何かしたくなった。9年生から12年生の生徒

が居る高校だが、10年生の終わりと12年生の終わりに進級試験が存在する。

国の共通試験である。生徒も教師もこれに向けて必死だ。放課後も勉強している。

 

彼らの質問に答えていると気付く・・高校生が分数の計算が出来ないのだ。

学んだことが恐らく定着してない。基礎が無い。

問題は山積みだと感じた。自分は何をすればいいのかもう一度考えたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿