10.11.09

04/09/09 相対論

金曜日。この一週間とても大きな山を登っている感覚だった。毎日全身のだるさを感じていた。一週間、朝から自分の境遇を呪っていた。

40分の授業を10コマ教えている。他の先生は2倍近くの授業を持っている。先輩のKさんも多いときは20コマ以上持っていた。しかし、彼はまもなく帰国する。彼の仕事がそのまま私の仕事になろうとしている。期待が痛かった。試行錯誤で指導案を作り、実験室で試薬のチェックをしている。何とか簡単にできる実験を組み込めないかあれこれやっている。廃液の処理に困らない実験、準備が楽な実験。授業を増やせる自信はなかった。

理科主任は理解を示してくれた。彼女は今のコマ数でいいと言ってくれた。しかし、他の教師は違う。もっと授業持たないとダメだよと。かつてのボランティアは35コマも教えていたとか。もう日本のボランティアが当たり前のように戦力になってきたんだ。帰国隊員からも受験対策を頑張るよう日本から激励された。Kさんは販売されている教科書をスキャンしたデータを編集して本にした。彼は来週に帰国してしまうが、学校は生徒用に200部増刷する予定だ。全ての教師が彼を称えた。しかし、彼が近所の学校にも配ると言ったら「この学校の仕事を渡すのか?」と苦笑いをする教師も居た。Kさんは最後の出勤を済ませ、沢山の贈り物をもらった。他の先輩方も、この国の人のいい思い出として語り継がれている。

私のすべきことは既に決まっていたのかもしれない。朝礼ではいつも試験の話。しかし、PNGの教育省の考えに私は従っている。そのやり方・・・大半の進学しない生徒、故郷でより良く暮らすための理科教育・・に価値を認める教師はそんなに多くはないように見える。評価が難しそうだが、挑戦するべきだと思う。私はただ受け入れたのではなく、自分でその方針に価値を認めている。彼らは2年後その私の仕事に対してどのような評価を下すのだろうか。感謝されて帰ることが出来るか。

・・今度皆の前で話そう。前、自分で書いたことを思い出した。

「お前は誰々と違ってOpen mind でいい。サッカーもするし、サクサクも食べる。いつも笑顔だし、沢山話をする・・。しかしアイツはいつも見てるだけだ。」

私は先輩隊員ではないし、彼は私ではない。

そして、一つ歳を重ねた。自分が何歳かすぐに思い出せない。今日は誕生日だった。日本には自分の歳を数え、祝ってくれる友人が居る。帰りたくなった。電話線は一週間以上切れたまま。今、「待ってる」という手書きの文字が私を支えている。もう自分は知っている。独りではないことを。

0 件のコメント:

コメントを投稿