27.11.09

27/11/09 さらにcoming

金曜日。様々なもの来て。そして去っていった。

ボランティア調整員Sさんがマヌス島に来た。彼は現地人の安全対策アドバイサーも連れてきた。彼らは水曜に到着し、我が職場に来て教頭と挨拶をかわした。その夕方我が家の安全管理を確認した。

我が家は針金とバラ線のフェンスに囲まれる高床式住居。全ての窓には鉄の格子が付けてある。番犬はいないが、二世帯式の家で、お隣さんがいざとなればきっと助けてくれる。そして、マヌスはPNGで最も安全だと言われている。周りの家はここまで安全に気を使っていない。ここまで敷居の高い家はこの島に数軒しかないだろう。

しかしかつて侵入されたことがあり、実際フェンスには穴があいている。針金フェンスを1m四方買ってきて付けるといいということだった。しかし「見積書」をもらってからでないとお金の補助はされないということで、少し面倒だなと感じていた。しかし何か起こってからでは遅い・・・。

その夕方は私が事務所員2人にカレーライスを食べて頂いた。同居人Sさんは村に出張中のため私がやるしかない!味覚の鈍い自分の料理はいつも適当であるが、少し丁寧に・・・調味料は私の愛(痛)。毎週2回もカレーを作っているため、完全なルーティンであるが。お世辞でも美味しいと言って下さった。色々伺いたいこともあったが、車の都合でゆっくり話すことができなかった。

彼らが去った後、洗い物を済ませようとしたとき、招かれざるものが来ていることに気がついた。「断水」だった。しかし、この断水は段階的だった。水の出が悪いと感じて、水不足かと思い、慌ててタライやらバケツに水を溜め出したがしばらくして出なくなった。しかし隣の家は出るようだった。彼女らは水を分けてくれた。しかしお隣さんも出が悪いようだ。しかしワスワスしなよという。シャワー浴びな、ということだ。隣の家の人たちは普段から家の中のシャワー室を使わない。中は暑いし狭い、外の方がリフレッシュするらしい。

というわけで外で少年Rと水浴び。本当に1日2回シャワーを浴びないと気持ち悪い、と思うようになってしまった。こちらの人は2回かそれ以上浴びる。学校では2回にしろ!節水しろ!と先生が注意している。そして、蓄えた水で一夜を過ごした。

翌日、木曜日は授業を事務所員に見てもらうことにしていた。しかし、授業は無くなった。切羽詰まった生徒の評価のために授業を潰してテストが行われたのだ。日本の学校と異なり、テスト期間というのが無いからこういうことが起こる。仕方がないので調整員には謝り、取りとめもないをした。しかし私には聞きたいことが沢山あったので、夕方また会う約束をした。

学校は水が使えていた。よい勢いでトイレの水も流れた。我が家は朝、桶から水を使ったのに。

夕方調整員Sさんはフェンスを買って下さった。それを少年Rと針金でくっつけた。その後パピタライ村のYさんと3人でホテルで食事をした。唯一のレストラン。パピタライの高校は既に評価を終えて、授業はほとんど行われていないということだった。我が学校もそうなるのだろうか・・。そういう訳でYさんは平日にも関わらず街に来て一泊することにしたのだ。

調整員Sさんは物腰柔らかい方で、私の聞きたかった様々なことを話して下さった。PNGの事務所の方針、PNG、他の国の状況、調整員について・・。身の上話も交えながら。時間はあっという間に過ぎた。御馳走になってしまった。帰ろうかというところでレストランに自分達に良く似た顔立ちの方が二人。自分の祖母くらいの年齢と思われる男性と若い女性の方だ。

「こんばんは。」

えっ?

ここマヌスでJICA関係者以外の日本人に初めて会った。言語学、民族学など広い分野を研究され業界ではとても知られている方々のようだ。数回マヌスにもいらして村も訪ねているようだった。大統領に呼ばれたとか・・。ピジン語の特徴、その文法でも学術書を書かれているらしく、この言語の面白い話を伺った。そして何より、私たちボランティアにとても気を使って下さって、様々なものを分けて下さった。消毒用布巾、かっぱ、絆創膏、お湯で溶かすスープの素、巻尺、せんべい・・・その心に私は満たされた。初めてお会いするお二人に良くされた。

帰ったら夜10時、早く眠らないと翌朝辛いぞと思いながら溜めた水で身体を洗おうと思ったらシャワーが出た。すごく嬉しかった。定型文のようだが水があるってありがたいことなんだなと改めて思った。きっと無いところで当たり前のように暮らしているアフリカの人は、それを知っているのだろう。

今日金曜日はSさん、Yさんとで州政府の教育部門に挨拶に行った。初めて州政府の訪問だった。Masoboの監督の奥さんは学校秘書を辞めて州政府の教育部門の秘書になっていた。お偉いひとに聞きたいことはいっぱいあった。「教師は不足しているのか?」ということ。現在来年の教師の配置を話し合っているところだ。我が学校の教頭も言っていた「教師が不足している」と・・・ここでも言われた、そして教員の配置には既にボランティアも数えられているというのだ。それでいいのか?現在私の学校は600人の生徒に対して30人の教師が働いている。私はよく分からない・・これは不足なのか?生徒20人に対して1人の教師がいるのだ。理科に関しては物理・化学・生物にそれぞれ知識を持った担当の教師がいる。これについて突き詰めるには様々なデータがいる・・教育部門は学校の学期終了後もしっかり働いているということで、また伺うことにした。

金曜日の最後の7と8限は授業が入っているので引き揚げた。この授業をYさんにみてもらうことにした。そして撮影してもらった。自分が成長しなければいけない。生徒のためにも、自分の未来のためにも。金曜最後ということで生徒はダレていた、少なかった。20人程度いただろうか。80分の授業、私もすごく長く感じた・・生徒にとってはもっとそう感じただろう。実際私は5分早く終わったが、横の2クラスは誰も授業してなかった。やりながら、質問の仕方に反省したくなったりした。ぐったりしている生徒を見ると申し訳なくなる。授業終了は通常1時50分、それは腹ぺこだ。一人授業と関係ないことで騒がしい生徒が居た。この生徒に対して何かしてあげないといけない・・。このままでは全体にとっても彼にとっても良くない。今まで、外国人ということでそこは気付かないふりをしていたが、何か考えようと思う。

反省

生徒には気体の性質など教えてきた、それを使って陸風と海風を順序だてて、ストーリーをもって説明させたかったのだが・・・

授業の導入:もっと生徒が興味を持つような導入、これから「今まで勉強してきたのは自分たちで風の向きを説明するためなんだ!」ともっと強く言えばよかった。「なんでこんなくだらないことしてるんだろう・・」、と生徒に思わせない工夫をしなければいけない。

発問:実際沢山の質問をした。そうやって論理を組み立てさせた。しかし、その構成の問題が存在した。

生徒に助けられていた。このクラスは態度に関して問題があるとかつてKさんに聞いていたクラスだ。しかし積極的に教師の発問に反応するエネルギーのあるクラスだ。同じ授業を自分のもう一方の比較的行儀のよいクラスでできるだろうか・・。

改善の必要がある。日本に帰ったとき、教師として何か違う自分でありたい。こちらの教師はあまりこういう機会を持たない。各スタイルの尊重に重きを置いている空気がある。同僚に研究授業、提案してみようか・・。セッティングに苦労しそうだが。彼らのためだと思わず、自分のために。彼らが必要性を感じなければおそらくいくら素敵な勉強会が軌道に乗っても、私が去って無くなるのだ。この勉強会を通して、教師間の教育に対する意識が芽生えないものかとも思う。知識や職人意識の無いMr.P、彼のサポートをみなでするチームみたいにならないだろうか・・。

 

色々あったが、ともあれ金曜日。水も出るようになった。S調整員も首都へ帰った。Yさんも村へ。今日はゆっくり寝よう。

2 件のコメント:

  1. 佐野です。
    テスト。
    ちゃんと書きこめてるかなー?

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  2. S野です。(いまさら伏字。。)
    あっ、書きこめてるみたい!
    時間あったのでブログ一番最初から
    この話まで全部読んだよ~。
    ちなみにこのサイトは同じくギタークラスの
    Tに教えてもらいました。
    エアメールありがとうね!
    園遊会(火ピのYさん企画の)のときS(君のこと)が熱く語っていたのが現実を帯びてきている気がするね。
    Sはまだまだだと思っているかもしれないけど。
    俺もSのように妥協せずに追究していきたいと思う。
    まだまだ自分は周りに流されてしまうことが多いからさ。

    ブログ読み続けるから引き続きがんばってくれ。
    必ず五体満足でかえってこいよ。
    そのうち写真もUPしてね。

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